初秋の筑前・筑後をひとり旅2019 その27 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

福岡県「筑前・筑後」を巡るひとり旅、初日は「大牟田駅(おおむたえき、福岡県大牟田市)」駅前でレンタサイクルをお借りして、ユネスコ「世界文化遺産」に登録されたかつての「三井三池炭鉱」関連史跡を巡っています。

 

 

さて、大牟田(おおむた、福岡県大牟田市)郊外と、県境を越えた荒尾(あらお、熊本県荒尾市)との間で、周辺に点在していた「三井三池系」の炭鉱群を結んでいた「三井三池炭鉱専用線跡」をここまでたどって来ました。

 

 

廃線跡はさらに先へと進んでいて、この先には鉄橋や築堤(土手)、かつての駅跡が遺されているのだそうです。そちらも踏破してみたいところですが、時間の関係で今回は、ここで廃線跡ウォッチングはおしまいにしたいと思います。またぜひ再訪したいところです。

 

 

その廃線跡は画面中央右。左側には、なんとも味のある古びたレンガ造りの建物、そして広がる雲の手前、銀色に輝く櫓が見えて来ました。

「世界文化遺産」に登録されている「三井三池炭鉱 宮原坑(みやのはらこう)跡」です。

 

 

まずは周辺から様子を見てみます。市街地からだいぶ山あいに入ったところに位置しているのですが、周辺は住宅地然としています。

 

 

その向こうには、大きな観覧車の姿。「グリーンランド」という遊園地のものだそうですが、所在地は「熊本県荒尾市」。

そういったことで、この「宮原坑跡」は熊本県との県境に近いところに位置していることがわかります。

 

 

それでは、今回「大牟田」を訪問した主目的のひとつだった、この「宮原坑跡」をじっくりと拝見してみたいと思います。

訪問したのは日曜日だったので、ボランティアのガイドの方が説明についてくださいました。

 

 

この「宮原坑」が開設されたのは、明治31(1899)年のことだそうです。

すでに、明治初期から「官営(国営)」として稼働していた「三池炭鉱」の内では、それでも完成は遅い部類に入るものだったようですが、それでも120年以上の歴史を誇る、歴史的な史跡です。

 

 

稼働当時の周辺写真。冒頭でも触れましたが、現在では周辺は閑静な住宅地になっていますが、実にたくさんの付帯施設があったことがわかります。坑道を運営するためには、実にたくさんの設備が必要だったのだなと思えます。

 

 

さて、その「宮原坑跡」を象徴する建物跡というのが、構内に入る前に鎮座しているこちらの大きなレンガ製の壁面でしょうか。

 

 

 

 

まるで、明治時代に遡ったかのようです。

現在は一部が遺るばかりですが、立派な、また優美なつくりです。

 

 

整然と積まれたレンガは、通称「イギリス積み」と言われるもの。

一段ずつ、レンガを縦・横・縦・横…と積み上げる方式で、現在でも耐震性に富んだものだそうです。あまり見かけない積み方です。

 

 

 

構内に一歩足を踏み入れますと、まず目に付いたのがこの大きな排水ポンプでしょうか。

「宮原坑」が稼働した際に設置されたままの状態だということでしたので、120年あまり前とまったく同じ。これはすごいなと感じます。

 

 

さらに、坑道が閉鎖になった後も、坑道からの大量の湧水をくみ上げるため、このポンプは平成半ばまで現役で稼働していたそうです。

そう耳にしますと、100年以上も維持出来るほどの高度な技術が用いられていたのだなと、驚きとともにさらに感心しきりです。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。