みなさんこんにちは。前回からの続きです。
大阪・心斎橋にある「住江織物」さんの本社・ショールームで行われていた、「鉄道車両内装の歴史展 明治・大正~昭和のモケット」という企画展を訪れた際の様子をお送りしています。
明治期以降に同社が手掛けた「座席モケット」に関する展示がなされているとのこと。
普段はあまりスポットの当てられることの少ない「モケット」という企画展ということで、どのようなものが見られるのか楽しみです。
4階のショールームの一角に、企画展の会場はありました(係の方に許可を得て撮影しています)。
それでは、さっそく展示を拝見して行きたいと思います。
お邪魔している「住江織物」さんは、大阪・住吉村(現在の大阪市住吉区)で明治16(1883)年に、村田伝七氏が創業したところまでさかのぼる、老舗のインテリアメーカーだとのこと。
こちらは、建物入り口にあった解説からですが…
創業当初は「手織り業」を主に行っていたようですが、次第に日本全国にわたってさまざまな建物や鉄道車両、船舶の内装、殊に装飾の国内主力メーカーとして、幅広く事業を展開して行ったとのこと。また、百貨店の「高島屋」とも深い関係があり、発展の礎にもなったようです。
今回の企画展は、同社が手掛けた「鉄道車両モケット」が主題ということで、パネル展示を拝見すると、すでに明治の半ば頃から後期にかけて、さまざまな鉄道会社に座席モケットの納入をはじめています。
最初の展示は、明治末期の頃に「鉄道院(現在のJRに当たる)」と、「大阪市電」に納入されたモケットの一部からでした。
どちらも朱色地ですが、対照的な模様のように感じます。
特に、右側の「市電」の方には、大阪市の市章「みおつくし」が織り込まれています。味わいのある文様に感じます。
こちらは「住江織物」さんで保管されている、最古の製品見本なのだとのこと。さっそく、貴重なものを拝見出来ました。
続いての展示も「鉄道院」のもの。解説にあるように、明治期に全国で鉄道網が一気に整備された際、おそらくはモケットを製造する技術を持った会社というのは限られていたのでしょうか。
鉄道院から高島屋一社に対し「車両の内装装飾についてのすべての納入」を命じられるとは、現在では想像もつかないことでもあります。
先ほども触れたように、もともとは呉服商だった高島屋と関係の深かったことから、同社に白羽の矢が立ったのだと想像が出来ます。
それに応じて、さまざまな座席モケットが製造されて行ったようです。
こちらも「鉄道院」向けのもの、レール断面を模したデザインが印象的です。
「上・中等車(現在のグリーン車)に輸入モケットが使用されていた」というくだりを見ますと、大多数の一般庶民が利用する「下等車(現在の普通車)」とは、モケットひとつを取っても、サービスの差異があったことが窺えます。
こちらは「京都市電」向けのモケット。大正期に入った頃のものだそうですが、こちらにも「京都市」の市章が織り込まれています。
シンプルなデザインのように感じますが、濃い紺色に桜の花びらとともに、現代のそれでは見られない、なんともいえない味わいがあります。
次回に続きます。
今日はこんなところです。