住江織物「鉄道車両内装の歴史展」を訪ねて その3 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

 

大阪・心斎橋で開催されている、大手インテリアメーカー「住江織物」さんの企画展「鉄道車両内装と歴史展」を拝見しています。

 

 

 

明治末期、鉄道車両の内装を主に請け負う、国内随一の主力メーカーとなった後にも、鉄道以外でもさまざまな分野において事業を展開して行ったことがパネル展示を拝見していてわかります。

 

 

それでは、続いて展示を拝見して行くことにします。大正期のものです。

 

 

 

大阪から遠く離れた「東京市電(現在の東京都電)」でも、シートモケットは採用されていたようです。

市章、あるいは社章が織り込まれた明治期の頃のそれとは異なり、大正期では「独自のデザイン性」が現われるようになったようです。

 

 

 

 

こちらは「南海鉄道(現在の南海電鉄)」に納入されたもの。「菊丸紋」と、解説にあります。

 

 

これは実に凝ってますね。美しいなと感じます。現在の鉄道車両では見られないものだとも感じます。

当時は、こういったところでモダンさをアピールしていたのでしょうか。

 

 

昭和期に入り、鉄道の内装も続いてですが、客船の内装にも同社は携わっていたようです。

 

 

 

「大阪商船」、「日本郵船」、「鉄道省青函連絡船」…と、当時の重要な交通機関だった「船舶会社」の名が連なっています。

 

 

これは「あるぜんちな丸」という、「大阪商船(現在の商船三井、MOL)」が南米航路で運航していた、豪華貨客船のシートモケットとして使用されていたものだとのこと。

当時は富裕層しかこのような客船は利用出来なかったこともあるのでしょうが、見た目にも豪奢な印象を受けます。

 

 

そういったことで、明治期の創業にはじまり、大正期に入ってたくさんの会社の内装、シートモケットの納入を行っていた実績に驚きます。

 

 

その中には、当時日本が領有していた海外、外地の鉄道においても、製品の導入がなされていたことがわかります。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。