サッポロビール「麦とホップ」で思い出す急行列車の想い出 後編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

 

自宅でふと手に取った、サッポロ「麦のホップ」のラベルに見つけた「北海道歴代急行列車」なるものに、いまとなっては懐かしい「JRの急行列車」について、いろいろと懐かしい想い出に浸りながら項を進めています。

 

 

さてその中で、個人的に印象に残っている「急行列車」について、今日は取り上げたいと思います。

それがこちらの急行「きたぐに」。平成7(1995)年8月、新潟駅にて。

 

 

この「きたぐに」はいわゆる「電車急行」で、「夜は寝台・昼は座席」と、組み換えが自在に出来る「583系」という電車が使用されていました。

大阪駅と新潟駅とを結んでいる夜行列車だったのですが、ヘッドマークのイラストも「佐渡おけさ」を踊っているものであったり、列車経由地の北陸や新潟の地図がイメージされているという、風情のあるものでした。

 

 

「急行」とは言えど、この列車には需要に合わせて「寝台車・グリーン車・座席車」が連結されているなど、こちらもかつて、日本全国に急行列車が走っていた全盛期の頃の「急行」の風格を、姿を消すまで醸し出していました。

 

 

実は、この「きたぐに」には一度、乗車したことがあります。いまから17年前、平成14年の頃でした。

一夜を明かしたのは、当時としても珍しい設備だった「三段寝台車」。

通路に並ぶスリッパの様子などを見ると、結構たくさんの乗客があったのだと感じます。

 

 

予約してあてがわれたのは、その三段寝台の最上段でした。

結構な高い位置にあるのがトリッキーというか、普段では味わうことの出来ない独特な雰囲気でした。

 

 

最上段のベッドはこのような感じ。写真ではわかりにくいのですが、高さは40~50cmくらいだったでしょうか。

天井が屋根の形そのものになっているので、動くのにも着替えるのにも、結構難儀したのもいい想い出です。

ちなみに、右側にあるのは「覗き窓」スペースです。

 

 

一度、この三段寝台を体験したくて乗車したという経緯だったのですが、案の定?気になってあまり眠れなかったのは覚えています。

一夜を明かし、下車したのは「直江津駅(新潟県上越市)」でした。

 

 

ここからは、未乗だった「信越本線(現在のえちごトキめき鉄道)」、長野まで出て「飯山線」に乗車したようでした。

当時、乗り鉄ばかりしていたわたしにとっては、夜行列車というのは、目的地の駅に早朝に着いて、有効に時間を活用出来るものでしたので、実に便利なものだったのだなと感じます。いまでは、想像もつかないことです。

 

 

大阪から北陸、そして新潟はじめ信越方面へと、各区間での需要があり、重宝されていた列車だと聞いたことがありますが、やはり乗客の現象や、使用されているこの「583系」の老朽化などが重なり、平成22(2010)年3月を以って廃止になりました(臨時列車としては、翌年春まで運行された)。

 

そんなこんなで、いまとなっては懐かしい「急行列車」についての想い出をあれこれと振り返ってみました。

急行列車もそうですが、夜行列車というのも、先ほど触れましたが旅する時には実に便利なもので、旅情もふんだんに感じられるものだったのだなと、ちょっと懐かしい思いもします。その想い出もいまは昔。自分も歳を重ねたのだなとも感じます(笑)

 

今日はこんなところです。