サッポロビール「麦とホップ」で思い出す急行列車の想い出 前編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。

天王寺動物園を探索しているところですが、またも別の話題をちょっと挟ませて頂きます。

 

 

先日のこと。仕事を終えて、帰宅してやれやれビールでもイッパイと。

自宅の冷蔵庫にあったのは、サッポロ「麦とホップ」だったのですが…

 

 

 ふと、パッケージの反対面を見ますと…

「北海道歴代急行」と銘打って、列車たちが並んでいるではありませんか。

 

 

左から「狩勝(かりかち)」、「宗谷(そうや)」、そして「まりも」

いずれも、タイトル通りにかつて北海道内で活躍した急行列車です。 

そういえば、学生の頃北海道を旅した時に「宗谷」に乗って、稚内まで行ったことを思い出しました。

 

ただ現在では、JRでは定期運行している「急行列車」というのはすでにありません。

 

 

そういえば「JRの急行列車」と言いますと、国鉄時代に比べて数は減っていたとは言え、20年ほど前までは日常的にその姿をあちらこちらで見ることが出来たなと思い出されます。特に、電化されていない区間のある方面には、このように気動車(ディーゼルカー)が独壇場でした。

平成6(1994)年10月、京都駅にて。

 

 

こちらも京都駅でのショット。

平成8(1996)年3月撮影。

いまは観光名所にもなっている「京都駅ビル」が工事中の頃でした。

 

これらはいずれも急行「丹後」という列車で、京都駅から山陰本線を走り、愛称にあるように丹後方面へ向かうものでした。

この姿を収めた8日後、山陰線の園部~福知山間の電化が完成したのを機に、電車特急「きのさき」「はしだて」に格上げされる形で廃止になりました。おそらくは、最後の姿を記録に残そうと京都駅までやって来たのだと思います。 

 

 

ちなみにこの急行「丹後」は、京都駅と京都府北部地域などを結んでいたことから旅客需要は高く、編成の間にはこのように「グリーン車」も連結されているなど、最後まで風格のある列車でした。

クリームと朱色という、国鉄塗装がいまとなっては懐かしいものです。

 

 

他にも写真を探してみますと、このような列車も見つけました。

平成7(1995)年8月、備後落合駅にて。

こちらは、広島駅から県北部へ抜ける「芸備線(げいびせん)」で運転されていた、急行「ちどり」。JR西日本独自のカラーリングが施されていた、晩年の姿です。

 

いずれも懐かしいものだなと感じる「急行」ですが、個人的に特に印象に残っている列車を、次回は取り上げたいと思います。

今日はこんなところです。