新緑の天王寺動物園と新世界をぶらり散策 その12 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

(ヤフーブログ 2019年6月5日アップ分)

 

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

好天に恵まれた先日の週末、家族で「天王寺動物園(大阪市天王寺区)」と「新世界」一帯をぶらり散策した際の様子をお送りしています。

 

 

最後に立ち寄ったのは、大阪唯一の路面電車「阪堺電車」のターミナル駅「恵美須町駅(同浪速区)」でした。

 

 

それでは、このレトロな「阪堺恵美須町駅」の観察を続けてみたいと思います。

駅の南端には、これまた古い木造の乗務員待機所もありました。

 

 

 

 

駅は2線、ホーム3面の行き止まり構造になっています。

発着する列車本数が少ないこともあってでしょうか、こちらの2番線の使用頻度は少ないようです。

 

 

屋根がところどころ抜け落ちているというのも、これはこれで味わいがあります。

こちら側の降車用ホームは、現在は使用していないのでしょうか。

 

 

木製の朽ち果てた、現在は封鎖されている改札口もありました。

改札の向きは駅近くの「今宮戎神社」に当たるので、十日えびすの際など、乗降客が多い時に使用されていたのかも知れません。

 

改札の向こうは現在、モータープールになっているのですが、かつては駅前広場などがあったのでしょうか。

そういったことを想像するのも、なかなか楽しいものです。

 

 

ところで、この駅舎の屋根の下にも、実に歴史を感じさせられるものがありました。

 

 

ホーム屋根の支柱に使用されていたのは、またいい味わいの「古レール」。

 

現在と比べて、昔はこういった建材に使用するのにも鉄鋼は貴重なものでしたので、使用されなくなった古レールをこのように再利用するという事例は全国各地で見られた事例です。その生き残りという訳ですね。

 

 

レールにはしっかりと刻印も残されていました(画像を横に回転)。

「CARNEGIE」とは、製造元のアメリカ「カーネギー鉄鋼会社」を記すもの。

 

 

「1897」は「製造年」を記しています。「1897年」は都合「明治30年ですので、かなり古いものだということがわかります。

隣の「ET」とは、調べてみますと、アメリカ・ピッツバーグにあった同社の「エドガー・トムソン工場」で製造された記しだそうです。

 

日本の鉄道史、その黎明期においては、この「カーネギー社」から輸入されたレールが幅広く使用されていて、先ほども触れたように、当初の目的である「鉄道レール」としての役目を終えたあと、このように他の目的で転用されている事例では、よく見かける会社名です。

しかし、今日までよく残っていたものやなあとびっくりさえします。いずれにしても、貴重なものですね。

 

 

そして「NANKAI」の文字。これで「カーネギー社から南海鉄道(現在の南海電鉄)に納入されたもの」ということもわかります。

 

「南海電鉄」はこの「阪堺電車」とは明治以来の開業時から非常に関わりの深い会社に当たり、路線の譲受と分離を幾度となく繰り返しているのですが、この刻印がなされている古レールがこの駅で活用されているのには、そういった事情もあってのことだと推測されます。

 

 

そうこうしていますと「あびこ道」ゆきの電車が発車して行きました。

「阪堺電車」はここから大阪市内を南下、大和川(やまとがわ)を越えて堺市の「浜寺公園駅」へ至っています。

せっかくなので、ひさしぶりに乗ってみたかったのですが…これはまたの機会にしたいと思います。

 

そんなこんなで「天王寺動物園」や「新世界」一帯を散策した際の様子をお送りして来ました。

家族がひとつも登場しませんでしたが(笑)

新緑の心地よい好天のもとで、いろいろ楽しめた身近なお出かけでした。

 

おつきあいくださりありがとうございました。

今日はこんなところです。