みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「大阪府立図書館(大阪府東大阪市)」1階のロビーで、昨日まで行われていた「鉄道車輛の塗色の魅力とその変遷ー大阪府立図書館の近郊を走る近鉄・大阪メトロ車輛を中心にー」という、企画展示を拝見しに来た際の様子をお送りしています。

前回、前々回でも触れたのですが、今回の展示は、個人で所蔵されているコレクションが主のようでした。それも、なかなか見ることの出来ない貴重なものばかりで…実に興味深いものばかりです。

そんな中、ずらっと並んだ「近鉄特急」の鉄道模型も圧巻でした。
今日は、こちらを拝見して行きたいと思います。


民鉄では、日本最長の路線網を誇る「近鉄電車」。
その路線網の多くで、幅広いネットワークで運行されている「近鉄特急」ですが、それに比してさまざまな種類の形式が存在しています。

「模型」ということもあって、現在では走っていない歴代の車両群も並んでいます。

特徴的な外観のこの車両は「初代ビスタカー」こと「10000系」車両。
昭和33(1958)年に、1編成7両のみが登場した車両だそうですが、外見から「蚕」や「怪獣モスラ」などというニックネームで親しまれていたそうです。「世界最初の二階建て車両つき電車」として知られています。

「ビスタカー」という愛称は「二階建て近鉄特急」の代名詞として知られているものですが、先ほども触れましたが、この車両はこれ以降の「ビスタカー」のモデルとなった、試験的な意味合いのある形式でもあるそうです。


7両編成の中間車、その内の2両が「二階建て」になっています。
赤い枠でかこった「二階部分」は「ビスタドーム」と呼ばれるもので、人気を博したそうです。
毎度おなじみ「Wikipedia #近鉄10000系電車」から拾ってみますと…
これは当時の近鉄社長・佐伯勇がアメリカ合衆国を訪問した際にグレート・ノーザン鉄道を利用し、同鉄道の代表列車であった「エンパイア・ビルダー」に連結されていた、その名も「VISTA DOME」と呼ばれるドーム構造の2階建展望車の利用体験からヒントを得たといわれる。
構造的にはク10003・10005(注釈:2階建車両)の台車間をバスタブ状の床構造として線路面ぎりぎりまで1階の床高さを引き下げ、通常構造の屋根に開口部を設けてそこから突き出す形でドーム状の2階席を用意する、というアメリカのドームカーの構造をそのまま引き写したデザインが行われている。
アコモデーションについては、シートラジオ、列車公衆電話、それに冷房装置の搭載と先代大阪線特急車であった2250系から継承した車内設備に加え、回転式クロスシートの採用と複層ガラスによる側窓の完全固定化が実現しており、これらの装備は直後に登場した国鉄20系電車のみならず、以後の日本の有料特急電車全般の設計コンセプトに少なからぬ影響を与えることとなった。

記述にあるように、これまではどの鉄道会社にもなかった革新的な新技術がハード面で多用されていることから、試験的な意味合いのある車両だったことが改めて窺えます。
その新機軸のひとつとしては、車両間に設けられたこの「台車」もそうでしょうか。「小田急ロマンスカー」で有名なものですが、この車両の一部では乗り心地の向上を図って「連接車構造」と呼ばれる、このような特殊な構造の台車も導入されていました。

興味深いのが、この「10000系」編成の反対側の、運転台つき車両です。
先ほどの特徴的な二枚窓のそれとはだいぶ印象が異なる顔つきなのですが…
これについても「Wikipedia」にその経緯が記されていました。

大破事故による前頭部復旧
1966年(昭和41年)11月12日に大阪線河内国分駅で発生した列車追突事故の際に、先行する上本町発名張行き準急(1480系)へ本系列による上本町発宇治山田行き特急が衝突、これに伴い宇治山田寄り先頭車であったモ10007の前頭部が大破した。 すでに事故後、その特殊性ゆえにこの時期には既に持て余し気味であったことや(中略)本系列の復旧は遅れ、特に破損の大きかったモ10007は翌1967(昭和42年)6月になって、鉄道趣味者から「蚕」や「ブルドッグ」、「モスラ」とあだ名された特徴的な流線型前頭部を撤去し、当時新造中の18200系に準じた仕様の特急標識や密着式連結器を備える、貫通扉付き前頭部を新造搭載のうえで復旧された。
なるほど…「事故後に遭った後に、当時の最新型特急車両のデザインに合わせて運転台が復旧された」という経緯があったのですね。
ただ、文中にも「その特殊性ゆえにこの時期には既に持て余し気味」という旨の記載がなされているように、試験的な要素の強かったこの形式は、どうしても運用上の制約がつきまとうものだったようで、この復旧からわずか5年後の昭和46(1971)年に、早くも全廃されてしまったとのこと。


その「10000系」が導入された翌年(昭和34年)、「10000系」で試験的に取り入れられた数々の新技術を用いて、今度は「量産型ビスタカー」として「ビスタカー2世」として登場したのが、この流線型が特徴の「10100系」という車両でした。

興味深いのが、流線型で非貫通式の運転台車両がある一方、このように、他の車両とも連結出来る、扉が貫通型になっている構造の車両も存在していたことでしょうか。都合、
「流線型+中間車+貫通型」
「貫通型+中間車+貫通型」
「貫通型+中間車+流線型」
の3つの編成のタイプがあり、同じ「10100系」や、他系列との併結も日常的に行われていたそうです。
これは先ほどの「10000系」とは大きな違いと言えるようです。

この「ビスタカー2世」こと「10100系」も、先代と同じく、中間車両には「2階建て構造」が用いられています。

そして、台車も同じく「10000系」の一部車両で使用されていたものと同じ「連接台車」。
登場から20年余、近鉄特急のフラッグシップとして活躍した車両でした。
他にも取り上げたい車両は展示の中にたくさんあったのですが、いやはや、いっぺんに取り上げられるほどの数ではなかったです…
特徴的な2形式について、少し触れた次第です。

そんなこんなで、鉄道部品や運転士用時刻表、そして鉄道模型に車両の写真など…実に貴重な展示ばかりの、いささか興奮気味になった企画展示でした。いいものを拝見することが出来ました。
最近、近鉄電車を利用する機会はあまりないのですが、特急に乗って出かけてみたくなった次第です。ひょっとしてそれが目的の展示なのかも(笑)
おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。