2つの支線を乗り継いで~JR羽衣線と南海高師浜線を巡る その10 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

大阪市の南、堺市と高石市にまたがる2つの支線「JR羽衣線」と「南海高師浜線」を巡った際の様子をお送りしています。
 
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大正期に建てられた、来年で築100年を迎える「高師浜駅」駅舎をあれこれと観察していたというところでした。モダンで味わいがあります。
 
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こじんまりとした駅前広場には、周辺の観光案内がありました。
 
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駅から西方向には、海が広がっているのが地図からわかります。
現在は「浜寺水路」となっているその周辺、かつては海水浴場があり、大変人気を博したようです。
 
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かつては、海岸が延びる名勝地、そして高級住宅街だったのですね。
現在は、堺市とまたがっている「浜寺公園」がその名残のようです。
 
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その海岸には、昭和30年代から沖合を埋め立てて堺泉北臨海工業地帯の工場群が立ち並ぶようになりました。先ほど乗車して来たラッピング電車にもありましたが、現在は工場夜景の美しさで知られているとのこと。確かにこれは神秘的な光景です。
 
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さて、折り返し電車まではまだ時間があります。
もう少し、駅周辺を探索してみることにするのですが、外から見てもこの意匠はおしゃれです。
 
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駅の西側に出て来ました。高架線が奥へと延びています。
 
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高架のホームから、階段で駅舎へアプローチする部分の真下には、自転車置き場への通路があります。ちょっと入ってみたいと思います。
 
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階段をくぐったところ。たくさんの自転車が留め置かれているのですが…
 
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高架駅の真下の部分には、この石積みが遺されていました。かつて地上駅だった頃の駅ホームの痕跡だそうです。そう言われますと、なんとなくその雰囲気を感じるものです。
この駅の高架化は昭和45(1970)年ということですが、地上駅時代にはこのホームから階段を昇り、あのレトロな駅舎へと至っていたことがわかります。
 
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そこから見上げた高架駅。こちら側に向かって、ホームが張り出していることがわかります。
 
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到着直後の記事でも少し触れましたが、高架駅になった時点で、この駐輪場側にも線路が引けるようにホーム側も、屋根や張り出し部分など、その準備がなされていたことがわかります。
現在の輸送量から勘案すると、もう複線化はなされないものと思われるものですが、貴重な遺構を垣間見ることが出来ました。
 
では、駅舎へと戻ることにします。
次回に続きます。
今日はこんなところです。