2つの支線を乗り継いで~JR羽衣線と南海高師浜線を巡る その9 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

大阪市の南部、堺市と高石市にまたがる2つの支線「JR羽衣線」と「南海高師浜線(たかしのはません)」を巡った際の様子をお送りしています。
 
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2つ目の支線「高師浜線」に乗車、終点の「高師浜駅(大阪府高石市)」に到着したところです。
小さな高架ホームから、階段を降りたところが改札口でした。
 
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この駅舎、実にレトロな雰囲気をあちこちで醸し出しています。
 
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駅舎の中には、現在では見ることの少なくなった鏡。
 
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添えられた商品のコピーが、実に秀逸だと感じます。年代モノですね。
 
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そんなレトロな駅舎ですが、自動券売機はきちんと設けられています。
南海全線のみならず、他社線への連絡乗車券も購入出来る、他の駅にあるのと同様のものなのですが…
 
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自動券売機の隣には、乗車駅証明書の機械もありました。
南海のみならず無人駅で見かけることの多いこの機械ですが、この「高師浜駅」、日中に無人になる時間帯があるということで、その時間帯に券売機の故障などがあった際などに、自動券売機の代替えとして証明書を発行する目的のようです。
 
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試しにボタンを押して発券してみました。自動改札を通ることが出来るものなので、券面にあるように、下車駅で運賃を精算する必要があるものです。
 
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さて、駅舎をまだまだ観察してみます。天井からぶらさがる蛍光灯、ペンキが少々剥がれ落ちている姿など、実に味わいがあります。さらに…
 
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駅舎の出入り口の真上には、おしゃれなステンドグラスがありました。
浜千鳥でしょうか。しかし、こちらもいいデザインだと感じます。
 
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駅舎の外へ出てみました。西洋風の、瀟洒なデザインです。
高師浜線が開通したのも、海水浴場への輸送の他に、大正当時、沿線にあった高級住宅街へのアクセスを目的にしていることもあったからでしょうか。
 
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ステンドグラスも、外から見てもその優美さを味わうことが出来ます。
こんなおしゃれな駅舎については、なんと「Yahoo!ロコ」に解説がありましたのでちょっと取り上げたいと思います。
 
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羽衣~伽羅橋間開通の翌年、大正8年(1919年)10月に支線の終点駅として高師浜駅が開業しました。高級住宅地として開発された周辺の街並みにあわせて、ステンドグラスが印象的な西洋風デザインの駅舎が建てられました。設計者は不明ですが、明治時代に造られた南海本線浜寺公園駅と様式が似通っていることから、著名な建築家、片岡安(かたおか・やすし、1876-1946。明治から昭和期に大阪で活躍した建築家)がかかわったのではないか、との見方もあります。1970年の高師浜線の高架化に合わせて、高師浜駅の解体・改築が検討されましたが、地元の熱意により駅舎部分は残され、現在も利用されています。
 
(参考)「Yahoo!ロコ 高師浜駅(南海)」
 
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解説文にあった「南海浜寺公園駅」。高師浜駅からほど近いところにある。
国の登録有形文化財に指定されている、明治40(1907)年築という貴重な建築物。現在は駅舎として使用はされておらず、保存のため場所も移動している。
 
こちらで取り上げました↓
当ブログ
「チン電で行く浜寺公園界隈の旅 その5」(2010年6月13日アップ)
 
なるほど…路線の高架化の際に保存された経緯があったのですね。
周辺の様子は、高級住宅街と海水浴場から、街並みは住宅街に変わってしまっても、往時の賑わいを伝える、来年で築100年になるこの駅舎、貴重な存在なのだなと感じます。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。