京阪電車「淀屋橋地下延長線開業55周年」記念イベントへ行って来ました | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。
「京阪電車大津線」を気ままに巡る旅の記事の途中ですが、今日は、大阪と京都を結ぶ「京阪線」の話題をお送りしたいと思います。

 
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大阪市内中心部を東西に貫く、京阪電車の大阪方の終着駅「淀屋橋駅(大阪市中央区)」へ至る「淀屋橋地下延長線(天満橋~淀屋橋間)」が「昭和38(1963)年4月16日」に開業し、今年で「55周年」を迎えるということで、クイズラリーやグッズ販売会などを主にした「記念イベント」が21・22日に沿線で行われました。今日は、そのイベントに参加した際の様子などをお送りしたいと思います。
 
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この駅では記念グッズの販売、クイズラリーの達成賞の贈呈などが行われていたのですが、その前に、今回の記念イベントのメインテーマである、55年前の「京阪電車の淀屋橋延伸」という事業について触れたいと思います。
 
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縦に長い「淀屋橋駅」ホーム、ここは「3・4番線」の終端部。その一端には、金色に輝く「記念碑」があります。
 
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「淀屋橋延長線」竣工を記念して設けられた「記念碑」です。
 
では、少し長いのですが、この「淀屋橋延伸」にかける「京阪創業時からの経緯と熱意」がしたためられた、実に壮大な文面の、村岡四郎社長(当時)による「竣工記念碑」の内容を以下に記したいと思います。
 
竣工記念碑
 
 往昔(おうせき)平安京と浪速を結ぶ交通は淀川を利用する水路に始まり後にいわゆる京街道が完成すると共に水陸相まつての交流は愈々(いよいよ)活溌化し両都はわが国文化経済の中心として共に繁栄を続けてきた 
のち都は東京に移つたが京都は千年にわたる王城の血として国民憧れの古都であり浪速大阪は産業の中心地として民衆と倶(とも)に成長してきた近代日本の代表的な経済都市である
従つてこの両都市間の交通を近代化することは明治のわが国文化経済発展のための大きい要請となつていた
かかる情勢の下に弊社は明治三十九年大阪高麗橋京都五条間の電気軌道敷設の特許を得四十三年四月十五日はじめて運輸営業を開始し爾来(じらい)今日に至る迄五十有星霜(せいそう)京都大阪滋賀三県にまたがる交通機関としてその公共的使命を果してきた
 
 近時大阪市周辺の急激な人口増加は都市交通圏の拡大と輸送需要の激増をもたらし都市交通問題はかつてない焦眉(しょうび)の問題として世論の対象となつた 
ここにおいて弊社はこの国民的課題解決の一助とするため昭和三十一年天満橋より淀屋橋に至る一・六粁(キロメートル)の地下延長線敷設の特許申請を提出した 
この計画は大阪市営地下鉄と接続することにより京阪両都心を直結せんとするもので昭和三十三年三月の都市交通審議会大阪部会の採択答申が推進力となつて翌三十四年二月軌道敷設の特許を得た
しかし本工事が社運を賭しての一大難工事のため特に準備に慎重を期し越えて三十六年一月十日漸く着工の運びとなつた
爾来二年三箇月近代技術の粋をつくし弊社の全能力を挙げてこれが建設に当り三十八年四月十五日奇しくも五十三年前開業の同月同日竣工の式を挙げることを得たのである
 
 今静かに思いを創業の昔に馳せれば寔(まこと)に感慨無量頭を垂れて先覚諸賢の苦心を偲び更(あらた)めて交通事業の使命と重責を肝銘して全社一致協力本地下線建設の意義を完(まっと)うし以つて先覚と世人の期待に副(そ)わんことを誓う
尚本工事の完成に到(いた)る間関係当局より賜つた御高庇と各界各位ならびに沿線市民諸氏の御支援に対して深甚なる謝意を表するものである
 
昭和三十八年四月十五日
 
京阪電気鉄道株式会社社長
村岡 四郎 識
 
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一方、こちらは「地下延長線」のもう一方の始発駅、「天満橋駅(同)」。この駅の4番線の先端にも…
 
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こちらも同じく「淀屋橋延長線竣工」の記念碑、「先覚志茲成(せんかくのこころざし ここになる)」
やはり、当時の村岡社長の手によるものです。
 
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「京阪創業以来の、先人の志(=先覚志)であった『淀屋橋延進』がここに成った(=茲成)」という意味が込められています。
 
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記念碑の文中にもありましたが、明治末期に京阪が開業して以来「大阪方の終着駅」は長らく、「淀屋橋駅」から2つ先に京都方へ進んだここ「天満橋駅(同)」でした。
 
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「天満橋」という場所は大阪府庁も近い、いまも昔も「ビジネス街」なのですが、大阪市内中心部の「御堂筋」を南北に貫き「梅田・難波・天王寺」といった、市内のターミナル駅を結ぶ大阪市内の大動脈「地下鉄御堂筋線」との接続、そして「市街地中心部への乗り入れ」が、昭和30年代からの沿線の開発による急激な乗客増加により、京阪最大の喫緊な課題になっていました(当時「御堂筋線」と接続していない関西大手私鉄は京阪だけだった)
 
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「市街地のはずれ」に当たる「天満橋」から路線を延ばし「市内中心部へ直接乗り入れる」のは、京阪創業時からのまさに「宿願」だったようです。
この「淀屋橋延長線開業」までは、京阪沿線から大阪市内中心部へ向かおうとすると「京橋駅」や「天満橋駅」で国鉄環状線や大阪市電の乗り換えが必要だったため「大阪市内中心部へ直接乗り入れる」というこの延長線開業は、沿線利用者にとっては図り知れない利便性の向上につながりました。
 
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さて、「天満橋駅」からは2駅、ものの3分ほどで「淀屋橋駅」へとやって来ました。先ほど触れたように、京阪電車にとっては明治の開業以来50余年の念願だった「淀屋橋延長線」事業に思いを馳せつつ、気になる「グッズ販売」へと向かいます。
 
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さて、入手して来た記念グッズはというと…一際目を引いたのが、この「記念クリアファイル(各400円)」でした。
 
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昭和38年4月15日、「淀屋橋駅」での地下延長線竣工式でテープカットする当時の村岡四郎社長の姿が。京阪にとっては歴史的な記念すべき瞬間です。
 
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もう一方のクリアファイルの裏面には、開通から55周年に当たってのメッセージが添えられていました。
また「新線のトンネル」から疾走して行く、この「淀屋橋延長線開業」に合わせて製造された「1900系特急車」のイラスト、スピード感を感じさせられるものです(当時の記念乗車券で用いられたイラストです)
 
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その他にも、こちらは「記念マグネット(各300円)」。
「延長線開業」であらたに誕生した「地下線3駅の駅名標」(ただし、現行のデザインですが)がモチーフになっていました。
 
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この台紙で用いられているイラストがモチーフの「記念ヘッドマーク」を掲出している編成も走っているとのこと。この日は出会えませんでしたが…
ここまで項を進めて来まして、普段、何気なく利用している駅や路線にも、そこに秘められた「熱意」や「思い」というものには実に深い意義があるのだなと、あらためて感じた今回の「淀屋橋地下延長線開業55周年」記念イベントでした。
時間がなくてクイズラリーには参加出来なかったのは残念でしたが…
 
今日はこんなところです。