部分廃止から20年「京阪電車京津線」路面電車時代の思い出を回顧する その2 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。
一昨日、12日に「開業20周年」を迎えた「京都市地下鉄東西線」の代替えで
路線の一部が重複するため廃止になった、路面電車区間を走っていた「京阪電車京津線(けいしんせん)」の当時の活躍を懐かしみながら、それを回顧するということをしています。

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「京津三条駅(京都市東山区)」を発着する、普通用の「80形」と、準急用の「600形」。
この当時、京津線で使用されていたのは、いずれも規格の小さい、2両編成の
車両で、最大8両編成が走っていた「京阪線」とは「軌道幅(標準軌、1,435mm)が同じ」ということだけで、路線規格はまったく異なる路線でした。

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駅の前にあった、神社の参道から。ちらりと600形が見えました。
それでは、京津線の小旅行へと「京津三条駅」を出発します。

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ところで、先般の記事でも述べたのですが、この「京津線部分廃止区間」というのは、併用軌道(自動車などと一緒に走る、路面電車区間)がその多くを占めていたということが大きな特徴でもあり、独特な光景でした。
そういうことからでしょうか、あえて電車には乗らず、幾日にも分けて沿線をてくてくと歩いて記録したものが中心です。

京津三条駅を徒歩で出ると、浜大津ゆき(滋賀県大津市)ゆきの準急がやって来ました。
「ミシガン」のヘッドマークを掲出しているので、浜大津駅に隣接する「大津港」で、京阪系列の「琵琶湖汽船」が運航する観光船「ミシガン」の便に連絡している列車です。これをさらにさかのぼると、この準急に連絡している、大阪からの京阪特急にも「ミシガン」のヘッドマークが掲出されていました。

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駅手前の信号待ちの80形。朝夕のラッシュ時などは、混雑する道路事情も加わり、このように、途中で停車して待機する、という「路面電車ならでは」の光景もよく見かけました。

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沿線には、これもまた京都らしい風景がありました。

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次の「東山三条駅(同)」に到着。
ちょうど上下の普通列車が停車しているところなのですが、路面電車区間なので、ホームは線路のすぐ脇、ほんの少し段が設けられている部分でした。

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この駅を通過する、準急三条ゆき。
周辺には文教施設や寺社仏閣などが多くあったのにも関わらず、電車待ちの間など、このように準急列車が通過して行ったり(ゆっくりと徐行はしていましたが…)すぐ隣の道路では、ビュンビュンとクルマが通過して行くので、ちょっと怖い感すらありました。

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この駅のすぐ西側では、京津線が走る「三条通り」と「東大路通り」が交差していました。さらに後者には、昭和53(1978)年9月まで「京都市電」もあり、ここで路面電車同士、平面交差していました。

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当時、最新型の700形が通過。
現在は、京阪線の新塗装に準じたものに塗装変更が進められていて、大津市内を走る「石山坂本線(いしやまさかもとせん)」の主力車両として活躍しています。現在、京津線の代替えとして開業した地下鉄東西線には「東山駅」が、この直下に設けられています。

このあたりも、路線廃止後にすぐ撤去工事がはじまり、現在ではすっかり様変わりしてしまいました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。