今月上旬、滋賀・近江平野を走る「近江鉄道」を、のんびりと乗り鉄した際の記録をお送りしています。

本線の「高宮駅」(滋賀県彦根市)を出ると、車窓の左側からこの重厚な高架が近づいて来ました。渡っているのは、この周辺の郡名の由来にもなっている「犬上川(いぬかみがわ)」です。

おっ、これは!長大な、新幹線があっという間に追い抜いて行きました。

高宮駅を出てから数キロの区間、近江鉄道は「東海道新幹線」にピッタリと寄り添うように走っています(正確には、もともと走っていた近江鉄道の横に東海道新幹線が建設されたのですが)。

車内からはこんな感じ。新幹線なので、割と高い高架線路がずら~っと続いて行きます。
ではこの「並行する東海道新幹線」という、一風変わった光景についても…
「各駅停車全国歴史散歩26 滋賀県」
(京都新聞滋賀本社編 河出書房新社刊 昭和56年8月初版 絶版)
から拾ってみたいと思います。
新幹線が景観料を払う 五箇荘・愛知川・豊郷・尼子
日野から近江鉄道に沿って続いていた御代参街道は五箇荘町(ごかしょうちょう、現在は東近江市)に入り、小幡で中山道とぶつかる。近江鉄道もまた小幡(おばた、同市内の旧市街地)の町はずれの五個荘駅で新幹線と交差する皮肉なめぐり合わせになっている。五箇荘から高宮までの沿線は新幹線が並行して走り、のんびりした電車の旅もここで目をさまさせられる。
三九年の新幹線開業当時、国鉄は「景観料」の名目で近江鉄道へ二億円を払って世間を騒がせたいわくつきの沿線である。その金は踏切の改善に使われ、この区間には大小とりまぜ五○ヵ所にのぼっている。
新幹線が一〇分ごとに走り抜ければ、近江鉄道は三○分ごとに一本の割合で駅へやってくるのみ。しかも新幹線はここで上下線がすれ違うから、ゴーと音が響く。のどかな沿線を一変させたという意味では、なるほど景色料とは考えたものだ。(後略、P172)

なるほど、「景色料」ですか…
他に読んだ文献では、新幹線の開業でびわ湖や湖東三山の眺望が妨げられるから…というのもあったように記憶しています。いずれにしても、これを使って近江鉄道の踏切が整備され、保安度の向上に役立ったようです。

その並走区間、こちらでは10分ほどだったでしょうか。
遠くに離れていくとともに、こちらも滋賀県の主要な河川のひとつ「愛知川(えちがわ)」を渡ります。要らぬお世話ですが、水量が少ないような…

そこからはさらに南下。先日の記事で取り上げました、多賀大社への参詣に重宝された「御代参街道」(おだいさんかいどう)に沿って行きます。

到着したのは「八日市駅(ようかいちえき、同東近江市)」です。
かつては、駅名にあるように「八日市市」だったのですが、例の「平成の大合併」で周辺の市町村と合併、「東近江市」となりました。

路線図で見ますと、このような位置関係です。
米原から貴生川までを結ぶ「本線」のちょうど中間あたり、びわ湖方面への「八日市線」が分岐している駅で、近江鉄道の中でも重要な拠点駅です。

ちなみに、午前中に訪問した鉄道イベント「ガチャコンまつり」で主役だった、近江鉄道の「鉄道むすめ」こと「豊郷あかね」嬢は、普段はこの駅で勤務しているのだそうです。


ついでと言ったら怒られそうなのですが、この「豊郷あかね」嬢のサポート役をしている「駅長がちゃこん」の紹介も、この駅で展示されていました。
どうでもいいのでしょうが、イメージキャラクターとして登場したのはいいものの、お株をすっかり奪われた「駅長がちゃこん」の心境やいかに…というのを慮るのは、余計なお世話でしょうか(笑)

さて、この駅からは「近江八幡」へと向かうことにしています。
陸橋を渡った3番線からの発車と、繰り返し案内がありました。

その反対側を伺っているうちに、停車していた米原ゆきが発車して行きました。水色が特徴の100形「湖風号(みずかぜごう)」でした。
右手奥に、最新型の「900形・淡海号(おうみごう)」の姿も見えます。
濃いブルーが目に留まりますが、これは親会社の関係から「埼玉西武ライオンズ」のビジター用ユニフォームの色彩を意識したものだとのこと。確かに「Saitama」と書かれた埼玉西武のビジユニはこんな色彩ですね。



3番線に停車している「近江八幡ゆき」も、先ほどまで乗車して来た「800系」という車両と似ているのですが、正面の顔つきがやや異なります。
こちらは「820系」という形式の車両で、旧国鉄・JRの「103系電車」を思わせるデザインです。

こちらが、高宮からここまで乗車して来た「800系」。
コーヒー会社のラッピング編成でした。

中線に留置されていたのも「800系」でした。
この800系と820系、種車は同じ「西武401系」なのですが、改造内容の差異があるため、このように形式名で分類されているそうです。

毎度おなじみ「Wikipedia #西武401系」より。西武現役時代のものです。
確かに、前面の銀色の飾り板が撤去され、側面の両開き扉は黄色に塗装、車体裾が切り欠きされた他は、現在の姿とは大きな差異は見当たりません。
こうして見ますと、西武時代の原型に近いのは「820系」のようです。

それでは、ここからは西へ進行方向を変えて「近江八幡」へと向かいます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。