近江平野を走る、滋賀県の近江鉄道を先日、乗り鉄した際の記録をお送りしています。

米原から彦根へ、この日行われていた鉄道イベント「ガチャコンまつり2017」を楽しんだあと、多賀線を往復、本線のちょうど中間地点に当たる「八日市」(滋賀県東近江市)までやって来ました。


そろそろと「八日市」を発車。このあと、乗車する予定の「貴生川方面」への線路としばらく並走。


駅の構内の外れあたりで、まっすぐ南へと別れて行きました。
この線路の分岐の仕方というのも、ローカル線ならではというのか、寄り添いながら名残惜しそうな別れ方をします。実に雰囲気があります。

しめ縄の張られた光景。駅も神聖な場所なのでしょうか。
正式には「阿賀大社(あがじんじゃ)」と呼ぶ、この周辺で信仰を集める「太郎坊宮(たろぼうぐう)」が駅近くの、途中駅「太郎坊宮前駅」にて。

そして、20分ほどで終着の「近江八幡駅(おうみはちまんえき、同近江八幡市)」に到着。ここまでは順調に予定をこなせています。

一面二線のホームに、折り返し八日市ゆきとなるこの電車をたくさんの乗客が待ち構えていました。というのも…


近江鉄道の駅の北側にJR琵琶湖線(東海道本線)の「近江八幡駅」があるためでしょうか。こちらとは対照的な、長い12両編成の新快速がちょうど身をくねらせながら入って来ました。

古くからの街道筋で、いまも昔も湖東地域の中心地になっている「八日市」へ、JRからここで乗り換えて行く人が多いようで、その証左に、八日市~近江八幡間の八日市線は日中、他路線の倍に当たる30分おきの運転が設定されています。

ふと見つけた駅名標。昭和の雰囲気を感じますね。
手芸屋さんの広告も、まさに地元密着という印象で好感さえ持てます。

それでは八日市へと戻ることにします。乗車して来た列車の折り返しです。

結構な混み具合だったので、帰路はローカル色豊かな車内吊りをゆっくりと観察することが出来ました。そういえば、「ガチャコンまつり」ももうすぐ終わるような時間になって来ました。会場はどうなっているのでしょうね。

再び、八日市駅に到着。ここでいったん、改札を出ます。

こちらが駅舎です。おしゃれな感を受けますが、この「八日市」という地は、街道筋として古くから拓けた街として知られています。
では、そのあたりについても…
「各駅停車全国歴史散歩26 滋賀県」
(京都新聞滋賀本社編 河出書房新社刊 昭和56年8月初版 絶版」
から拾ってみたいと思います。
古くから湖東の中心 八日市
聖徳太子と渡来人説
「ほら、おまさん、なんちゅうたかて八日市はあきんどの町や。第一、活気がちがう。わしらには聖徳太子はんがついてはる」
八日市市民にこういわせるのは、その昔、聖徳太子がこの地に多くの瓦職人を集め、四天王寺(現在の大阪市天王寺区)建立のための瓦を焼かせるとともに、市を開かせた言い伝えからだが、渡来人説もあって太子につながる史実はない。
八日市は古くから湖東の中心地として栄え、近江鉄道も八日市を軸にして貴生川と米原へ南北へ伸び、西に近江八幡とつながっている。
表玄関の八日市駅は一日の乗降客七○○○人。沿線各駅の中ではトップ。
それでも駅員らは「車がふえて乗客はへる一方。昔なら、市日になると町は歩けないほどの混雑でした。戦時中は飛行場があったため面会客も多く、恋人と別れを惜しむ兵隊さんをよくみかけた」と昔をなつかしがる。(中略)
古い八日市市は名の通り、市場からはじまっている。本町通りの商店街の裏にある市神神社の縁起によれば、聖徳太子が四天王寺建立にあたり、八日市で屋根瓦を焼いた時、箕作山(みつくりやま、八日市郊外にある標高372mの小高い山)に瓦屋寺(かわらやじ、紅葉の名所として有名)を開基し、推古天皇九年(六○一)の三月八日、山麓で市場を開いた。その日にちなみ、八の日を市日に定め、八日市の地名がついたという。
(後略、出典 P166)
以前の記事でも述べた記憶がありますが、地名の由来というのは、その土地の歴史と大いにリンクしていると言えるので、実に興味深いものだと感じます。ここは名の通りやはり「毎月八日に市が立っていたから」なのですね。

さて、閑静ながら整然とした駅前を散策したのち、乗車するのはいよいよ近江鉄道最後の列車、貴生川ゆき、14時19分発です。


すでに発車を待っていました。これに乗り込みます。


相変わらずというか、のんびりとした感じです。
わたし以外は、学校帰りの高校生、お年寄りや買い物帰りの主婦と思しき乗客が主でした。
しかし、この駅から先はより「ガチャコン」と揺れるように感じます('ω')ノ

車窓は相変わらず、田植え前後ののんびりした風景が続きます。


こまめに設けられた駅に、丁寧に停車して行きます。
とある駅の車窓、さび付いたレールと草生した線路がちらと見えました。

かつては、列車が交換する駅だったのでしょうか。
朝日野駅(同東近江市)にて。


早くも徐々に、陽が傾いて来たようにも感じます。

沿線主要駅のひとつで、この駅折り返しの列車も設定されている「日野駅(ひのえき、同蒲生郡日野町)」に到着。
朽ち果てたベンチが、少しわびしくベンチにありました。


この駅で、反対の米原ゆきと行き違うとのことでしばらく停車。
そういえば、よくよく見るとホーム屋根の支柱も木製ですね。

米原ゆきを待って、ほどなく発車。車内の雰囲気は変わりませんでした。

日野駅を出て10分ほど走ったところでしょうか、景色が一変。山の中に入って来たようです。一面の草むらに囲まれる車窓になりました。
米原から広大な近江平野のど真ん中を走り続けて来たので、この変化には少し驚きます。

さて、いよいよ「甲賀市(こうかし)」へと入って来ました。
山向こうの「伊賀」と並ぶ、「忍者の里」ですね。

そこから間もなく、八日市駅からは小一時間ほどだったでしょうか、ようやく終点の「貴生川駅(きぶかわえき、同)」に到着。
近江鉄道の南端に当たる、終着駅です。

乗車して来た電車の向こうに、JR草津線のホームが見えます。
電車は折り返し、長躯「米原」へと折り返して行きます。

またも出会った「800系」。奥に留置線があるのでしょうが、ホームにちょっとだけ顔を出しているさまが、なんとなくユーモラスですね。


朝から乗車して来た「近江鉄道」とは、ここでお別れです。
と同時に、あわよくば…などと言っていた「全線完乗」を果たすことが出来ました!よかったです。

訪問の主な目的だった「ガチャコンまつり」も、期待以上の内容でしたし、沿線ののんびりした雰囲気も、実にゆっくりと堪能することが出来ました。
車両的にも興味深いものがたくさんで、ぜひまた訪問してみたいと思える「近江鉄道」でした。ちょっと、後ろ髪を引かれるような思い?で、改札口をあとにした次第です。

最後に、改札口から上って行く階段にこのポスターがありました。

そうそう、近江鉄道は「西武グループ」でした。
関西ではあまりなじみのないことですが、個人的には、上京する機会があれば、本場?の西武鉄道にもぜひ乗車してみたいなと感じました(過去、実際に乗車したことはありますが)。
鉄道好きな人にとっては、こういう相乗効果もあるのですね(笑)


さて、広域地図で見た「貴生川」はこのような位置関係です。
もう、草津や大津へも近い距離のところになって来ました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。