みなさんこんにちは。前回からの続きです。

前回に引き続き、ここは「三条駅」(京都市東山区)です。
平成22(2010)年4月に、京阪開業100周年を記念して行われた「京都を彩った駅・街・人」というパネル展が行われました。
パネル展の題目にもあるように、京都市内(殊に鴨川沿い)を走る京阪電車を捉えた展示がたくさんあり、情緒豊かな当時の様子を伺い知ることが出来たものでした。では、さっそくその「鴨川沿いの京阪電車」が現役だった頃の様子を、ギャラリー風にご覧頂きたいと思います。

まずは、鴨川沿いの区間がはじまる「七条駅」(同)から。現在では、この駅以北はすべて地下駅になっています。

大阪方面からの列車から、いっせいに下車して行く乗客たち。朝のラッシュ時間帯でしょうか。

反対側(山側)にホームが見当たりませんが…かつて地上の七条駅は、東西に走る「七条通り」をはさんで互い違いの場所に設置されていました。こちらは鴨川沿いの「京都方面」へのホームに当たります。
左隣の列車は当時、丹波橋駅(同伏見区)から相互乗り入れをしていた近鉄電車です。
この乗り入れは、昭和43(1967)年12月まで続けられていました。

ところで、ここからの区間は「線路が川沿いに敷かれている」ということで、開業当初から台風などによる水害がたびたびあったようです。
こちらは昭和47(1972)年の写真ですが、土盛り部分に当たる法面(のりめん)がえぐり取られているさまがわかります。
見る限り結構な被害です。


ホームに停車している「700形」の行先表示板が「七条 三条」となっていたり、普段は使用しない渡り線を利用して、特急車時代の「1900系」が転線している写真もありました。貴重な記録ですね。

これは、その「鴨川沿い」がはじまる区間の遠景です。


いや、地下線にはない風情がありますね。この区間からでは、京都タワーもこのように大きく見られたようです。

この区間は「電車が堤防の上を走っている」ということが特に目立つところだったようです。
「鴨川」が左側、線路をはさんだところに流れているのは「琵琶湖疎水」、まさに水に囲まれた、印象的な風景です。

繰り返しになりますが、京都独特の町屋が並ぶ風景のみならず、遠くは冠雪した比叡山や、春には桜並木の中を通り抜けたりと、実に情緒のある、魅力ある区間だったようです。わたしはうっすらとしか覚えていないのが残念ですが…

次の「五条駅」(現在は「清水五条駅」)にやって来ました。


駅のすぐ西側には「五条大橋」が架かっていまして、昔から、重要な交通の要衝だったようです。

実はここ「五条」は、京阪が開業した際、京都側の終着駅でした。路面電車規格の車両が停まっていたり、広告看板がちらと見えている写真ですが、これはえらい人だかりですね。全員が乗車した訳ではないのでしょうが…当時は、珍しいものだったのでしょうね。



この「五条駅」駅前には「五条通り」が通っていました。
現在でも「国道1号」と重複している区間で、市内でも殊に交通量の多いところなのですが、さすがにこの時代では…車は少ないですね。

こんな写真も見つけました。線路のすぐそばに「牡蠣船」…
昭和20年代末とのことですが、これだけを見ると、線路と川の境目がわからないくらいですね( ゚Д゚) いまでは想像もつきません。


特に、この五条駅から四条駅への間は、桜並木が線路側に並んでいるという、鴨川沿い区間の中でも、特に美しい車窓だったようです。
思わず下の写真に目が行ってしまったのですが、これも先ほどの七条駅と同様、当時乗り入れをしていた近鉄電車の車両です。時代的に、近鉄乗り入れ車両の様子はカラーのものをあまり見たことがなかったので、思わず見入ってしまいました(京阪と近鉄の相互乗り入れ廃止は昭和43年12月)。

そして、「四条駅」に到着。京都随一の繁華街、四条通りのど真ん中です。現在では「祇園四条駅」に改称されています。

夜の四条駅、大阪方面ホームの様子。映画のセットのようです。


この駅も、七条駅と同様にホームの位置が、通りをはさんで互い違いになっていました。
大阪方面ホーム、多くの人でにぎわっていたようです。
「大阪へ京阪特急」のネオンサインが、夜になると、川向こうの先斗町(ぽんとちょう)の繁華街からも特に目立っていました。


この「四条通り」と京阪は平面交差していたのですが、借景というべきか、駅周辺にある歴史的な建物とは、実にしっくり来るショットをたくさん見つけました。これは「南座(みなみざ)」。

四条大橋を渡ったところにはこの白亜のビルが。
「東華菜館(とうかさいかん)」という有名な(高級な)中華料理店で、これはいまなお、この姿のままで営業しています。


その反対側、駅から祇園・八坂神社のある東側にはこの「菊水ビル」が建っています。
円状のドーム屋根が瀟洒な印象ですが、こちらもやはり現役で営業しているものです。

ここまでの写真でも写っていましたが、四条通りにはかつて「京都市電」が走っていました。
橋の手前で京阪と平面交差していたのですが、こちらも趣味的には見どころだったようです。
この平面交差は、四条通りの京都市電の廃止(昭和48年)まで見ることが出来ました。

こちらは、市電廃止後から約10年後の「四条踏切道」の様子。
よくよく見ますと、電車が通過しているのにも関わらず、遮断機がありません。
左端に写っている踏切係が、列車が近づくと鳴るブザーを合図に、手旗のみで道路を封鎖して電車を通すという、実に原始的な方法?で交通をさばいていたそうです。かつては市電も走り、車の交通量も多いのにも関わらず、いまから考えるとこの方法はすごいの一言に尽きます(地下線開業直前には、直上へ遮断棒が上がる遮断機が設けられたそうですが)。

ホームからの様子を見てみますと…
三条ゆきの列車がやって来るホームからですが、先ほどの「菊水ビル」が実にいい借景になっているように感じます。

この時代は、特急でも3両編成だったのですね。昭和38(1963)年撮影。

変わって、こちらは大阪方面ホームです。先ほども触れましたが、ホームの位置は「四条通り」をはさんで互い違いだったので、ホームに立つと鴨川、そしてその向こうの先斗町(ぽんとちょう)、河原町といった繁華街を見ることが出来ました。


地下線時代の、正月を迎えた四条駅。八坂神社、知恩院などが近く、現在でも初詣ではにぎわう駅です。
ちょうど、通勤車両に改造された元・特急車両の1900系が「臨時特急」として大阪へ向かうところのようです。
ここまで見て来て、地下線にはない、もっと言うと現在では感じられない、実にいい昭和の時代の雰囲気を感じさせられます。

ところで、この「四条駅」周辺も、他の駅の例に漏れず、鴨川の増水やはん濫の被害を被って来た歴史があったようです。

近隣の建物から、駅(三条ゆきホーム)を望んだショットのようですが、右に鴨川、左に琵琶湖疎水と、その間を細い堤防で線路は延びている様子がよくわかります。これでは、増水の時などは脆弱なのもわかる気がします。
特に、このあたりの疎水の方は現在でも普段から流れが結構早いので…
次回に続きます。
今日はこんなところです。