みなさんこんにちは。今日の話題ですが…
いまから7年前、平成22(2010)年4月のことに遡ります。


この年は、明治43(1910)年4月に京阪電鉄が開業してから100周年を迎えた年でした。
それを記念して、京阪沿線では電鉄が主催となり、さまざまなイベントが行われました。

こちらは、京阪百貨店守口店(大阪府守口市)で開催された「京阪100年のあゆみ展」(撮影禁止だったので、カメラはここまででしたが…)。
開業からの貴重な資料がたくさん展示されていて、実に見ごたえのある催しでした。その他にも…





「京阪電車100周年」の記念ヘッドマークを掲出した列車も、複数の編成が運転されるなど、沿線は祝賀ムードでいっぱいになりました。

当時、このようにさまざまなイベントがあったのですが、先日までお送りしていた「鴨川沿いを走る京阪電車」にまつわるものも行われました。今日からは、前回まで取り上げていた「地下線」ではなく、京阪がその鴨川沿いを地上線で走っていた頃の様子を、記念に開催された一イベントから見て行きたいと思います。よろしければどうぞおつきあいください
写真は以上、「西三荘駅(にしさんそうえき、大阪府門真市)」にて。

ところで、ここは「三条駅」(京都市東山区)です。
平成22(2010)年4月14日から、開業100周年を期して「京都を彩った駅・街・人」という「記念パネル展」、そして記念の揮毫の贈呈がこの駅のコンコースで行われることになっていました(正面に布がかけられています)。

舞妓はんも登場。祝賀イベントならではといったところでしょうか。

冒頭であいさつする上田成之助・京阪電気鉄道代表取締役社長(当時。現在は京福電気鉄道代表取締役会長)。

そして、おもむろにお坊さんが登場されたのですが…清水寺の「森清範(もり・せいはん)貫主」でした。毎年、年末に「今年の漢字」を揮毫されている方です。

森貫主が揮毫されたのはこの「進取(しんしゅ)」という言葉でした。

この「進取」というのは、もともと京阪創業時からの社是に当たる精神で…と、社長さんのそれに続いて、森貫主が話をされていました。
鉄道業界では「技術の京阪」と言われていて、世界初・日本初・関西発…などといった、時代の先端を行く技術を積極的に導入している、ということがこの「進取」という姿勢に現れているのではないか、という上田社長と森貫主のあいさつでした。

その後、テープカットが行われ…



報道陣も多数、詰めかけるほどでした。

舞妓はんも記念品の贈呈に。大変、華やかなオープニングになりました。


ところで、このパネル展も「京阪開業100周年」のイベントの一環だったのですが、実に貴重な、その時々の沿線の記録を垣間見ることの出来るものでした。


路線の拡充とともに、沿線の開発も進められていった様がよくわかります。

その展示の中で、今回の主題にあります「鴨川沿いを走っていた頃の京阪電車」のパネル展示もたくさんありました。
これをちょっと見て行きたいと思います。


「清水五条駅」。明治の開業時は、京都方の終着駅はこの駅でした。

続いては「祇園四条駅」。京都随一の繁華街・四条河原町に近く、いつも行楽客などでごった返している、にぎやかなところです。
これは今も昔も変わりません。

そして、この「三条駅」。地上線時代には、長年にわたって京阪の京都側の一大ターミナル駅として親しまれていて、大津・びわ湖方面への「京津線」が発着するほか、バスターミナルとしても拠点になる駅でした。

このイベントでは、鴨川沿いを走る京阪電車の姿も多数、パネルなどで紹介されていました。そちらをじっくり拝見しながら、風情豊かな「鴨川沿いの京阪電車」の時代に、タイムスリップしてみたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。