みなさんこんにちは。前回からの続きです。
京阪開業100周年を記念して、開催された記念のパネル展を拝見しているところです。
殊に、いまから30年前に地下化された区間の地上時代の様子を、わくわくしながら?拝見しています。


会場では「甦る京阪電車の昭和時代」という、20年ほど前に市販されたビデオ作品の上映が行われていました(わたしも持ってますが)。


四条駅を発車、三条駅へと電車が「四条通り」の交差点を通過して行きます。
当時は京都市電も走っていた頃、昭和40年代末頃の映像でしょうか。

この区間、四条駅から三条駅までの間は、特に情緒のある区間でした。
線路際では春は満開の桜、初夏はさわやかな新緑、そして鴨川にはたくさんの鳥が舞い、その向うには川床や京町屋が所狭しと並び…と、実に京都らしい風景が、それも日常的に展開されていました。この鴨川沿いの区間でも、特に印象的なところだったようです。

再度、上映されていたビデオから。地上線時代の「三条駅」に到着するところでした。
右から1番線(普通宇治ゆきが主に使用していた、4両編成がぎりぎり停車出来るホーム)、2番線(特急ホーム)、隣に3番線(急行ホーム)と、鴨川に張り出した4番線(大阪方面への普通ホーム)という、不規則な形態のターミナル駅でした。

入線して行くのは「2番線」。特急列車からの撮影だったのでしょうか。
駅舎は向かって右側にあり、3番線に停車している急行ホームへは、2番線に停車している特急の車内を通り抜けて行く姿が日常の光景でした(そのため特急の扉は両方、開放されていた)。


映像からででも、大変にぎやかだったターミナル駅だったことが伺えます。これは、幼い心によく覚えています。


地下化されたのちも、しばらくの間は「終着駅」としての役割を果たしていましたが、2年後の平成元(1989)年10月、線路を延伸する形で「鴨東線(おうとうせん)」が開業しました。

洛北への入り口・出町柳(でまちやなぎ、同左京区)へ大阪から京阪は直結することになり、従来、アクセスが不便だった八瀬・大原・鞍馬方面への連絡が飛躍的に向上したという、大きな意味合いのある延伸でした。

さて、地上駅時代の「三条駅」に戻ります。
右下の年代を見ると、すでに地下化工事がはじまっている頃で、右端に白い囲いの壁なども見えます。

ホームの様子を捉えた写真もありました。
これは、三条駅の構内が拡張される前のもののようで、鴨川と三条大橋の様子がはっきりと写っています。これは風情がありますね。


昭和30年代までは、降車用・乗車用と、ホームは分離されていました。
利用客の増加に合わせホームは延伸され、乗降分離は早い時期に廃止されたようです。


ところで、この「三条駅」からは大津・びわ湖方面へ向かう「京津線(けいしんせん)」も発着していました。日本初の連接車「びわこ号」です。

また、先ほどの映像からですが…地上時代の京阪本線の三条駅、その右端にあった「1番線」(赤色矢印)の先は「京津線」とつながっていて、先ほどの「びわこ号」が「大阪・大津間」の直通運転を行っていたという、結節点としての駅でもありました。

地上を走る「京津線」は、平成9(1997)年10月に「京都市地下鉄東西線」の開業に合わせて、路面電車区間を含む一部区間が廃止され、現在では様相は大きく変貌しています。
これはその「京津線路面電車区間」最終日、三条駅を発車、浜大津へ向かう準急列車の様子ですが、こちらも「鴨川沿いの区間」に比類するほど、実に情緒ある(特徴ある)区間でした。こちらも廃止から今年で20年、路面電車時代(地上線時代)の様子などについてはこの秋に、シリーズという形でお送りしたいと考えています。

さて、この「三条駅」周辺、特に鴨川を渡った「新京極(しんきょうごく)」や「先斗町(ぽんとちょう)」などは、京都随一の繁華街でした。
パネル展には、昭和30年代のにぎやかな京都の様子についても、さまざまな展示がありました。今度は、こちらを見て行きたいと思います。

いいですね~川床ですね。ちょうど、いま頃からの季節でしょうか。

こちらは、団体旅行でしょうか。市内のどのあたりでしょうか。

最後にこちらの写真を取り上げたいと思います。
昭和29(1954)年7月、車内に白黒テレビを搭載した、日本初の本格的な「テレビカー」が登場したのですが、これはその当時のもののようです。(日本で初めて列車内にテレビを設けた列車は、昭和26年に登場した京成電鉄の「開運号」)。
乗客たちは同じ方向(つまり、その先にテレビがある)を向いていますが、それほど当時は貴重なものだったのですね。
しかし、この光景はある意味すごいものを感じます。

「鴨川沿い」から京阪電車の姿が消えて30年。
その間、地上線に替わり完成した地下線、そしてまわりの風景もその姿も変貌したものだと思うのですが、悠々と流れる「鴨川」の姿だけは、この先もずっと同じなのでしょうし、これからも変わりつつあるであろう街をずっと見守って行くのでしょうね。
そういうと、30年という年月の流れは、実は短いものだったのかも知れません。
おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。