阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その34「東貝塚駅」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。
先日からお送りしている、泉州・貝塚を巡る小旅行、いよいよ最終回となりました。

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水間観音への主要なアクセス鉄道、「水間鉄道 石才駅(いしざいえき)」から歩くこと15分ほど、到着したのがここ「JR阪和線 東貝塚駅」です。

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先日の記事から幾度か述べておりますが、水間・JR線は線路が交差はしているものの、接続駅はまったく設けられておらず、お互いにそ知らぬ顔をしているという状況なのですが、それらを徒歩で歩いてみた次第です。
意外にも遠い感じはなかったのですが、月並みなことを言うと、もちろん接続している方がはるかに便利なのでしょうね。

激しいライバル関係だった、建設時の経緯がお互いにあるのでしょうが…

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では、例によって?この駅もあれこれ観察してみたいと思います。

この「東貝塚駅」は区間快速、普通列車が停車する静かな駅です。改札口はこの駅舎にあるひとつのみ、簡素な屋根が特徴なのですが…

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出札口から裏手に回ってみますと、駅事務室のつくりが民家のようです。
画像中央付近、スレート葺きの屋根に目が行きます。

実は、この「東貝塚駅」がある「JR阪和線」は、かつては「阪和電気鉄道」という私鉄でした。昭和6(1931)年に、阪和天王寺(現在のJR天王寺)から阪和東和歌山(JR和歌山)までが開業し、当時としては車両、駅舎などは最高の設備を誇っていた、という逸話があるのですが、これらの設備はその名残だというのです。

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屋根の形状が同様式の、ここからさらに南へ下ったところにある長滝駅(ながたきえき、大阪府泉佐野市)の駅舎。

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旧国鉄、JRのものとは明らかに異なる、独特の形状の架線支持柱が並ぶ高架線路。阪和電気鉄道時代の貴重な遺産のひとつ。
美章園駅(びしょうえんえき、大阪市阿倍野区)にて。

実は6年前に、その「阪和電気鉄道時代」、つまり昭和初期に開業した頃の面影があちこちに残っているこのJR阪和線沿線各駅を巡る、という企画でシリーズをお送りしたことがありました。ということで、奇しくもその続きということで、今日の話題はお送りさせて頂きたいと思います。

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では、駅構内と周辺とを観察してみたいと思います。
ホームは上下線2面、線路は4本が設けられていて、比較的広い構内です。

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そのうち、外側の線路はいずれも待避線になっています。
見た感じ、使用頻度はそれほどでもないようで、レールや枕木は本線路のそれと比べても細いように感じます。

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駅舎から各ホームへは地下道で連絡。こちらは、のちほど拝見したいと思います。

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駅の和歌山方には、その線路4本が通る踏切がありました。幅の広いものです
(開いている踏切から、安全に留意しながら撮影しております)。

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この駅付近では、阪和線は地平を走っているのですが、少し拡大して和歌山方を観察しますと、徐々に勾配にかかっていることがわかります。というのも…

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先ほど「石才駅」から歩いて来た、このガード(と水間鉄道)を越えるため、この区間だけが高架になっている、という訳です。

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ところで、駅舎の方から踏切を渡り終えたところに、少し不自然に広いスペースを発見しました。ちょうど、踏切関係の機具が置かれてはいますが…

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東貝塚駅の北側には、広大な四角形の敷地にショッピングセンターなどがあることが地図からわかるのですが、そのうちのひとつ…「ユニチカ」という名前が見えます。

かつて、この場所には「ユニチカ貝塚工場」がありました。
紡績産業が盛んだった大阪府南部でも規模の大きな工場だったそうですが、あの「東洋の魔女」と呼ばれた、昭和39(1964)年の「東京オリンピック」で金メダルを獲得した、日本女子バレーボールチームの中心を成した、大松博文(だいまつ・ひろふみ、1921-1978)監督が率いる「ユニチカ貝塚」の本拠地だった、というのです。

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先ほどのスペースは、その「ユニチカ貝塚」への専用線があった痕跡なのだそうです。その専用線は、早くも1970年代はじめには撤去されたそうですが、跡地は遊歩道などに転用されています。
場所関係から、阪和線の大阪方面へ向かう線路から分岐していたようです。

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では、当時を想像しながら、専用線跡をたどってみたいと思います。

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阪和線の下り、大阪方面へ向かう待避線から、専用線(赤い線で図示)は延びていたようです(地図中、青い☆印付近)。

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踏切内からではこのような位置関係。左が和歌山方面、右が大阪方面です。

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踏切を越えると、すぐに遊歩道と緑地帯へと変わっています(同上)。

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駅を右手に見ながら、専用線は緩くカーブを取っていたようです(地図中、茶色付近)。

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そこから反対側を望む。ちょうど、快速電車が通過して行くところでした。
本線路とこの専用線の間のスペースが結構、設けられていることがわかります。想像なのですが、かつての貨物輸送全盛期にはこの場所に留置線などもあったりしたのでしょうか。

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遊歩道は、踏切からではものの100mほどで途切れてしまいました。
この先が、かつての「ユニチカ貝塚工場」のあった場所で、専用線はそこへと延びていました(地図中、緑色☆付近)。

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広大な工場跡地、現在はグラウンドなどになっています。
現在ではまったく痕跡もないのですが、同じ工場敷地跡にあるショッピングセンターに「ユニチカ」の名前が残っていることが、その唯一の名残でしょうか。

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振り返って、遊歩道の全景です。規模としては短かかったことが伺えます。

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少し前までは、あちこちで見かけることが出来た、沿線工場への専用線ですが、最近はあまり目にすることも少なくなったように感じます。
その中で、早い時期に姿を消した事例について取り上げてみました。

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さて、まだ陽は高いのですが、ぼちぼち帰ることにします。
「みどりの窓口」の替わりに、自動の「みどりの券売機」が設けられています。余談ですが、慣れれば結構便利な機械です。

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天王寺までは460円、京橋駅までは550円。そして大阪駅までは640円。
地元駅まで行こうとすると、これらの駅で途中下車してきっぷを買い直した方が安いということに気づきます。

関西近郊のJR線では、都心部の運賃は割安に抑えられているので、こういう事例が起こるのですが、意外にも長距離で買うと高くつくものなのですね。

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改札を入りますと、先ほど取り上げた地下道の側壁に…

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建設時のプレートを発見しました。「昭和45年竣工」とあります。
設計は「天王寺鉄道管理局」、旧国鉄が置いた、近畿地方のおおむね南半分
の旧国鉄路線を管轄していた部局です。この阪和線もその管轄だったのですね。

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地下道はこのような状況でした。建設時期から考察すると、時代にそぐう内装のように感じられます。簡素な感じです。

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大阪方面へのホームに上がって来ました。

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ここから、先ほど触れた「専用線跡」の様子が見て取れました(赤い線)。

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やはり、専用線と本線との間のスペースの広さが気になります。
ここにも、やはり貨車などを留め置く線路があったのでしょうか。

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というのも、その先には現在、保線用の線路があったりしたためです。
かつての専用線や留置線を、このように転用した例というのが結構多いためです。ただ、気になって調べてみたのですが、はっきりしたことはわかりませんでした。

しかし、戦後の高度経済成長を支えた、ここ泉州の代名詞だった繊維産業の隆盛を知り、鉄道は地元の経済とも大きく関わっているものなのだなと、いまさらながら感じた次第です。

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東貝塚駅から「区間快速」に乗り、隣の「東岸和田駅」(大阪府岸和田駅)に到着。

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上り線(和歌山方面)は、すでに高架化されているのですが、こちらは仮駅。ここで、環状線に直通する「関空・紀州路快速」に乗り換えます。
こちらも、外国人観光客で車内はいっぱいでした。

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ところで、阪和線には先ほどの「東貝塚」の他に、ここ「東岸和田」「東佐野」と、所在地の地名に「東」がつく駅名が複数あります。

これは、明治初期にすでに開業していた、競合相手の南海の「貝塚」「岸和田」「泉佐野」といった、かつての街道沿いの繁華な場所にあった駅からはかなり東側(山側)に路線が設けられていたことの名残で、もっと言うと、大阪市の南にある堺市の中心駅は、明治初期からあった南海の「堺駅」、「堺東駅」で、昭和初期に前身の「阪和電気鉄道」として開業したJRの方は「堺市駅」となっているなど(本来であれば逆の命名方法が取られることが多い)、「JR阪和線」というのは、他の旧国鉄・JR線のそれとは事情が異なる路線であることが伺えます。

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快速電車に乗ること20分ほど、うつらうつらしていると、車窓に「あべのハルカス」が見えて来ました。もうすぐ天王寺です。

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「あべのハルカス」が目の前に近づいて来ました。
ここで国道25号線を跨ぐのですが、毎日のように送迎で通るので、仕事のことを図らずも思い出してしまいました(笑)

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さて、ここまで「水間鉄道」で巡る小さな旅をお送りして来ました。

天候に恵まれたというのがいちばんだったのでしょうが、深くてさわやかな新緑に触れられたことと、観音様へ詣でることが出来たのは大変、いい気分転換になりました。水間鉄道も、のんびりとしたローカル色が最高でした。

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新緑の小さな旅におつきあいくださり、ありがとうございました。
今日はこんなところです。