泉州・貝塚(かいづか)を走る小さなローカル線、「水間鉄道(みずまてつどう)」に乗り、沿線をあれこれと巡っています。

さて、前回の記事で、ここ「石才駅(いしざいえき)」へ途中下車した、というところまでお送りしたのですが…

駅を出て右手に、この「石才交差点」がありました。そういうことで…

接続駅もなく、お互いにそ知らぬ顔?をしているこの「水間鉄道」と、この先、貝塚駅方面へと進むと立体交差する「JR阪和線」との間を、実際に歩いて連絡してみることにしました。
目指すは「東貝塚駅(ひがしかいづかえき)」。地図では2kmもありません。
ちなみに、左側(西方向)にある「和泉橋本駅(いずみはしもとえき)」へは、数年前に別企画で訪問したことがありました。
「JR阪和線」の出自は「阪和電気鉄道」という、昭和初期に開業した、当時としては最高規格の鉄道だったのですが、その沿線にいまだに残る、私鉄時代の面影を探索する、という企画でした。
よろしければこちらもどうぞ↓
当ブログ
「阪和電気鉄道 昭和初期の面影 その18 和泉橋本駅」
(2011年6月21日アップ)
「阪和電気鉄道 昭和初期の面影 その19 和泉橋本駅」
(2011年6月22日アップ)

ということで、その「石才交差点」から線路沿いに進んで行くことにします。
無事に行けば、その先で「JR阪和線」の線路とぶつかるのですが…

住宅が立ち並ぶ中、それが途切れたところで、貝塚駅方面へ向かう線路が見えました。電車が来てくれるタイミングであればなお良しだったのですが。

そこから少し進み、緩いカーブを右に取ると…
もう阪和線のガードが見えて来ました。

セブンイレブンの隣、まずは、無事にJR阪和線の線路までやって来れました。

ところで、阪和線はこのあたり、地平を走っている区間です。
ですが、水間鉄道を乗り越える部分(赤い枠の下付近)だけはこのように、築堤の高架線路になっています。

一般的に鉄道の敷設は「古くからある線路を、あたらしく出来たものが跨ぐ」というのがセオリーだとされているので(水間鉄道の開業は大正14年、阪和線の前身・阪和電気鉄道のこの区間の開業は昭和6年)、そのあたりの事情を勘案して、水間鉄道を跨ぐためにこの区間が高架化されたことが想像出来ます。

では、ここでもこのガードを観察してみることにします。
肝心の水間鉄道と交差する部分のガード付近は、私有地(駐車場になっていた)ので入らず、こちらでの観察です。

側壁が石で固められた、典型的なガードです。

ちょうど、関空・紀州路快速が轟音ともに通過して行きました。

これを、コンビニと反対側から望む。構造はおおむね同じようです。
では、高架下は…(のぞくのでなんなのですが笑)


古びてはいますが、昭和初期の開業当初からのものでしょうか。
典型的な「プレートガーター橋」でした。

かたわらのセブンイレブンでコーヒー休憩したのち、満足して?今度は交差点を右折、東貝塚駅方面へ向かいます。これは、完全に住宅街ですね。

駅への案内が見えて来ました。もう少し。


「石才駅」から歩くこと15分ほど、無事に「JR東貝塚駅」に到着しました!
なんだか、一仕事終えたようですが(笑)まだ続きますよ~
次回に続きます。
今日はこんなところです。