水間鉄道で行く 観音様と日帰り温泉を巡る小さな旅 その8 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
新緑のはじまりの頃、府南部の泉州・貝塚を巡った、日帰り小旅行の様子をお送りしています。

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日帰り温泉「ほの字の里」、そして「水間観音」などを巡って来ました。
いずれも緑がいっぱいで、いいところでした。
そして、戻って来たのはこの「水間観音駅」です。

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ちょうど、電車が発車待ちをしているところでした。
早朝や夜間を除いて、おおむね20分おきに電車はやって来ます。

さて、これからどうするか。そのまま帰るのにはまだ早いので…

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貝塚駅までの290円区間ではなく、270円区間のきっぷを買いました。
さて、どこへ向かうのでしょうか。

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ホームへと入って来ました。二列車並んでいます。
同じ形式の「1000形」というそうですが、正面顔がぜんぜん異なりますね。

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こんどの「貝塚ゆき」はこちら。のっぺりした感じを受けますが、もともと中間車両だったこの車両に、あらたに運転台を取り付けたため、このような顔つきになったのだとのこと。

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そして、もともと運転台がつけられていた車両がこちら。
行きに乗車して来た「パムちゃん」と「パチンコ屋さん」ヘッドマーク編成です。

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どちらも、もともとは「東急7000系」という形式の車両でした(水間では「1000形」と呼ばれている)。
現在、水間鉄道で運転されている列車は、すべてこの「元東急車」です。

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ところで、幼少の頃から鉄分のあったわたしに、祖母や父親はよくこの本を買ってくれました。「保育社」から出ていた「カラーブックス」というシリーズ本で、その中でも「日本の鉄道」というカテゴリーのものが、たくさん発行されていたようです。

とりわけ、気に入って読んでいたものだったのですが…

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こちらの「東急」に、その「7000系」が掲載されていました。
銀色一色の車両(当時は緑色も多数、存在していたようですが)に興味津々だったことをよく覚えているのですが、そのうちの一形式だったのですね。

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その「東急7000系」には、さまざまな特徴があるそうです。

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先ほどの現役時代の写真をアップ。側面、腰下の波状の板(コルゲートと呼ぶ)がその大きな特徴のひとつでしょうか。

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こちらは、現在でも見事に残されています。
関西ではほとんど見ることのないものなので、こちらにも興味津々です。

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屋根上には、大型の菱形パンタグラフ。最近はあまり目にしないですね。

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運転台をあとから取り付けた、こちらの貝塚ゆきも同様の特徴でした。
では、車内を観察してみたいと思います。

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車内の様子。暖色系の座席モケットは当時からのものかはわかりませんが、こちらには大きく手が加えられることはなかったようです。
ちなみに、水間鉄道にやって来たのは平成2(1990)年からで、現在は5編成10両が在籍しているとのこと。

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それから…非常に興味深いものを見つけました!
空いている座席に座り、なんとなしに、目の前のつり手を眺めていると…

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ショッピングセンターの広告でしょうか、一見すると珍しくもなさそうですが(実は、うしろの車庫に留め置かれている、車両の台車も「パイオニア台車」と呼ばれる、特殊なタイプのものなので取り上げたいのですが)…

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これは!現在も、東京・渋谷のランドマークとして有名な、あの「渋谷109」の広告ではないですか!

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もしやと思い、自分が座っている方のものも確認すると…

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やはりでした。こちらも「渋谷109」です。
いや、これはすごいものを見つけてしまいました。

東京から遠く離れた、この大阪の地でも、自分の出自を主張しているかのように感じます。
泉州で見る渋谷の広告…感慨深いですね。
しかし、取り替えられずによくいままで残っていたなあと感心します。

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この「元・東急7000系」は、昭和37(1962)年から大量に製造された形式とのことですが、その当時の意匠がいまなお車内のあちこちに見られます。

その中でもクラシックな「非常用ドアコック」と「非常ボタン」のサイン。

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貝塚ゆき電車はすでに発車していました。

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行きと同じく、距離の短い駅を丹念に停まって行きます。

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唯一の交換駅、名越駅(なごせえき)に入線したところでした。
ここで行きに観察出来なかった、運転台の様子も見てみることにします。

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こちらにも、昭和30~40年代の雰囲気が残されています。
ハンドル類は当時としてはオーソドックスな、ツーハンドル式。

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右側はブレーキですが、後部車両なので、ブレーキ弁は差し込まれていません。しかし、ブレーキのかけ具合の目安を示す銘板がいい色、味を出しています。

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左側は「マスコン(主幹制御器、アクセル)」。
「TDK」のマークなので「東洋電機製造」のものとわかるのですが、こちらは把っ手がちょっと変わった形状をしています。

斜め部分を下へ押さえ込むと横へまっすぐになり、操作が出来るタイプではないかと思われます。運転士さんへの負担を考慮したものなのでしょうね。

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名越駅を出発。反対の水間観音ゆきと離合して行きます。

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そういえば、先ほど停車していた編成には、カラーの側帯が見当たりませんでした。東急時代の原型に近づけているのでしょうか。

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そういえば、先ほど「水間観音駅」でこのようなチラシを見かけました。

「水間鉄道の駅に置かれていたので、水間鉄道のもの…」とてっきり、思ったのですが、青森県の弘南鉄道(こうなんてつどう)のものでした。
同様にこの元・東急7000系が譲渡されたという縁で「車体のデザイン交換」をするというイベントが行われるようです。あまり前例のないことだそうですが、元・東急車両が結んだご縁ですね(このイベント、ちょうど明日ですね)。

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ところで、水間観音駅のホーム横には、このような車両が保存されていました。

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この「東急7000系」が水間にやって来る前、活躍していたという「元・南海車両」です。車長が短めで二枚扉、ローカル線というこの路線規格に合った車両だったそうですが…

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前回、取り上げた「各駅停車全国歴史散歩」に、この車両の現役時代の姿が載っていました。

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こうして見ますと、いまのシルバー色の車両と比べるとちょっと派手な感じですね。

元車両の塗装、つまりこの頃の南海電車は、深い緑の濃紺だったので余計にそう感じるのかも知れません。
車体と一体化した(さらに、そこに塗装まで施されている)、正面にまわりこんだ短い排障器(スカート)が特徴的です。

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短い車内観察を終え、10分ほどでこちらの「石材駅(いしざいえき)」に到着。こちらもやはり、オリジナルヘッドマークが掲出されています。

「工藤あやの」さんという、演歌歌手の名前が記されていました。
ファンの方の手によるものでしょうか。

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さて、下車した「石才駅」周辺の地図を見てみたいと思います。
終点の「貝塚駅」からは3つ手前、そこで接続する「南海本線」と競合する「JR阪和線」のガードをくぐる手前の駅です。

せっかく交差しているのに、接続駅がないのはどうして…ということで、行きに気になっていたところなのですが…

次回に続きます。
今日はこんなところです。