583系引退に寄せて…最初で最後の乗車記とエトセトラ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。

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今日は、こちらの車両について取り上げたいと思います。
世界初の寝台電車、「583系」についてです。

この583系という電車なのですが、JR東日本・秋田車両センターに配属されている最後の編成が昨日(4月8日)の臨時運行を以って、すべて引退するということになってしまいました。
昭和43(1968)年に登場したこの583系、昼間は座席車両として、夜間は寝台車両として幅広い運用が可能なことが最大の特徴だったのですが、その特色?ゆえか、ヤフーニュースでもその引退の記事が配信されていました。

(参考)
国鉄カラーもう見納め 特急型寝台583系がラストラン
(朝日新聞デジタル 2017年4月8日配信)

さよなら「583系」/弘前駅で最終運行見送る(Web東奥 同日配信)

<寝台電車>「583系」ラストラン 秋田で引退セレモニー
(毎日新聞 同日配信)

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わたしは、この「583系」には一度だけ乗車したことがあります。

手元に残っていた記録では、平成14(2002)年8月、大阪駅から、当時定期列車として運行されていた、新潟ゆきの「夜行急行 きたぐに」に乗車していたようです。今日は、わたしにとっては「最初で最後の583系乗車」の記録をお送りしたいと思います。よろしければどうぞおつきあいください。

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こちらは14年前の大阪駅、その11番線です。

「夜行急行 きたぐに」はこのホームから発車していたのですが、ここをメインで使用していたのは北陸方面への「サンダーバード」や「雷鳥」でした。
時刻は午後10時半を回ったところ、この時刻ではすでにそれらの最終便は出発したあとのことでした。

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ほどなく、お目当ての「きたぐに」が到着。
「佐渡おけさ」を踊る女性の姿。新潟のイメージぴったりですね。

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車内はこのような感じでした。
車両中央に通路が設けられ、その両側に昔ながらの「三段式寝台」がずらっと並んでいました。寝台のカーテンは早くも閉められているものが多いようですが、乱雑に並べられたスリッパにも旅情を感じます。

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指定された寝台は、最上段でした。
車内のいちばん手前、デッキを区切る扉の脇、という場所でした。
クーラーの吹き出し口の真横ということもあり、真夏だったのですが、そういうことで結構、極寒だったというのをよく覚えています(+o+)

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上段寝台は、こんな感じでした。
屋根の丸みがよくわかるのですが、そう考えると、車体限界のぎりぎりまでスペースが用いられていたということなのでしょうね。その右側には…

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小窓が設けられていました。

明かり取りの意味合いもあるのでしょうが、下段以外にはこれしか窓がないので、暗いながらもどこを走っているのか気になるわたしのような人間には(笑)
ちょっとうれしかったのを覚えています。しかし、よく考えられたものです。

そういうことで、興奮の?車中泊でした。
ちなみに、大阪発は午後11時半過ぎだったと記憶しています。

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現在は、北陸新幹線が通る「直江津駅(なおえつえき、新潟県上越市)」に到着したのは朝の6時頃でした。夜行列車で一夜を過ごし、早朝、旅先のホームに降り立って、新鮮な空気を吸える…
いまとなっては大変、貴重な体験だったのだなと感じることです。

このあとは、終点の新潟まで乗車。新津まで戻ったのち、磐越西線を乗りつぶし、あちこち経由して、飯山線で長野へ抜けたという旅程だったようです。

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途中では運よく、会津若松で「SLばんえつ物語」号に出会いました。

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目の前で、SLの機関室を見られたのは幸運でした。乗車しませんでしたが(笑)

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ところで、この旅の記録を振り返ってみますと、本題の583系以外にも、いまはその姿を見ることの出来ない車両が他にもありました。

こちらも「会津若松駅」での撮影だと思うのですが、会津鉄道の「キハ8500形」というディーゼル列車です。
もともとは名古屋鉄道(名鉄)の車両で、JR高山線へ乗り入れる「特急北アルプス号」に使用されていたのですが、その列車の廃止後、こちらの会津鉄道へ譲渡され、活躍していた時のものです。
その後は、マレーシアの鉄道へ譲渡され活躍中だとのこと。

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旅の最終盤、長野駅の新幹線ホームで撮影したものですが…

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当時は長野新幹線(現在は北陸新幹線ですが)の主力だった「E2系」という車両なのですが、長野開業時から使用されていたこの車両も、今年3月までにすべて引退したとのこと(それ以降の車両は、現在でも運用されている)。

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さらに、長野駅からいよいよ帰阪しようかという時のことですが…

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「特急 ワイドビューしなの」という列車に乗車することにしていました。
車両自体は現在でも活躍しているものですが、この時には、一日1往復のみ
大阪まで直通する列車が設定されていました(昨春のダイヤ改正で廃止)。

これに乗車しようと行程を工夫していたことは言うまでもありません(笑)

「しなの号」の大阪乗り入れが廃止された際の記事はこちらもどうぞ
当ブログ↓
2016年3月26日「JR線ダイヤ改正」関西から消える列車を追って~前編
(2016年3月23日アップ)

2016年3月26日「JR線ダイヤ改正」関西から消える列車を追って~中編
(2016年3月25日アップ)


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長野からは長躯5時間、午後7時前、出発点だった大阪駅に戻って来たという旅でした。この頃と比べると、大阪駅も大きく変貌してしまいました。

本題の583系から、いろいろと話題が外れて恐縮だったのですが、その583系だけでなく、10年、20年という間では、さまざまなものが大きく変化するのだなということを、最近つとに感じます。

年月の経過というのは、実に早いものです。
諸先輩方に怒られそうですが、年を重ねたものだなと感じます(笑)

おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。