JR西日本から発売されている企画乗車券、「松山・広島割引きっぷ」を使い、大阪から広島、そして四国・松山へと日帰り旅をした際の様子をお送りしています。

やって来たのは広島市内中心部、平和記念公園です。
広島へ来たからには、こちらを訪問しようと思っていました。
私事にわたりますが、三度目の訪問になります(なにより、小学校での修学旅行の記憶がいちばん鮮明ですが…)。

その東側、「元安川(もとやすがわ)」という川が悠々と流れていました。
雰囲気のある、年代ものの欄干が印象的なものです。

川向こうには、世界遺産・原爆ドームが望める場所でした。

多くの観光客が集まっている様子が見えました。
こちらへは、後刻行ってみることにしたいと思います。

さて、その元安橋を渡ったすぐそばに、このレトロなビルがありました。
なかなかおしゃれだなと以前、訪問した際にも気になっていたのですが…

現在は、市のレストハウスとして活用されているとのこと。
観光案内所を兼ねているようで、館内には外国人観光客らしき姿が見られました。実は、このレストハウス…

もとは「燃料会館」という建物で、昭和20年8月6日の原子爆弾投下で被害を受けた「被爆建築」のひとつなのだとのこと。これは驚きました。
市内には、こうした「被爆建築」がいまだ、各地に点在しているそうです。
原爆投下から70年あまりという長い年月の間、当時の様子を語り継いで来たということでしょうか。その事実を知るに、実に考えさせられます。

緑濃い、記念公園の中を進んで行きます。
先ほどのレストハウスもそうだったのですが、外国人観光客の多さに驚きます。10数年前、訪れた時とはまったく様相が異なることに驚きます。

「原爆の子の像」がありました。

おらが街の小学校では、修学旅行の行き先はいまも昔も「広島(と宮島観光)」です。
そういうことで今回、娘に広島へ旅をして来ると話しをすると、来年は自分も広島に行くのだと話していました。
自身が小学生の頃(三十数年前のことですが…)、修学旅行の前には「事前学習」ということで、広島に原爆が投下されたという史実や、当時の歴史などを授業で学んだり、折り鶴をクラスのみなで折り、この像に捧げたというような記憶があります。
いまでもそのような取り組みをするのでしょうか。また、娘に聞いてみたいと思います。

平和公園の中央にやって来ました。毎年、8月6日の平和祈念式典が行われている会場で、頻繁に訪れるところではないですが、確かに見覚えがある光景です。

「原爆死没者慰霊碑」、ここで黙とうさせて頂きました。
その間にも、たくさんの献花が供えられていました。

「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」…
原爆ドームが奥に見える、こちらの記念碑も有名で、象徴的なものです。
緑濃い、静かな公園のたたずまいが、特に印象に残りました。
厳粛な慰霊の場所なのだなとあらためて感じます。

こちらの「広島平和記念資料館」にも足を運ぶことにしていました。

館内の展示をゆっくりと拝見したのですが、小学生の頃、拝見した時の印象とはだいぶ異なったように感じられた、というのが率直な感想でした。
いずれにしろ、この原爆が投下されたという歴史が大変な事実だったのだ、ということを、当たり前のことですがあらためて痛感するに至りました。気の引き締まる思いです。

ところで、大きな話題になったことですが、昨年の伊勢志摩サミットの後、
オバマ・前アメリカ大統領が広島を訪問した、ということがありました。
世界的に大きな反響を呼んだことは記憶にあたらしいところです。

こちらに関しての展示も、スペースを大きく割いて設けられていました。


直筆メッセージ、そして、大統領自身が折ったという「折り鶴」だそうです。


こちらは大統領の訪問時、子どもたちに宛てて贈られたものだとのこと。

資料館ピロティから。
しばらく見ていても、こちらへやって来る人たちは引きも切らずでした。

公園内を散策し、再び元安橋のたもとへと戻って来ました。
原爆ドームが望めるところです。

近くで見ますと、結構、大きな建物であることを感じます。
言うまでもないことですがこちらも、先ほどのレストハウスと同じく「被爆建物」で、「広島県産業奨励館」という行政機関が入る施設だったそうです。


見上げますと、青く広がる空が印象的でした。





平成8(1996)年には、世界遺産となった原爆ドームです。
説明板の前にたくさんの人たちが立ち、食い入るようにそれを読む姿が印象的でした。他の、殊に観光地などではまず見られない光景のように思えました。

そして、そのかたわらにはこの「相生橋(あいおいばし)」が架かっています。
T字形をした、特徴的な形状の橋です。

公園内にあった案内板ですが…
三角州の中にあり、特徴的な形状をしたこの橋を目標に、原子爆弾は投下されたのだそうです。当時、ここは住宅が密集していた場所だったとのこと、たくさんの人々がそれぞれの生活を営んでいた、ということが伺えます。
日常の生活が一瞬にして消え去ったということ…
本当に想像もつかない、恐ろしい事実です。
そういった説明を読みますと、大変複雑な気持ちになります。

はじめて訪れた修学旅行、小学6年生の頃を思い出してみるのですが、当時のわたしには、一発の原爆で、そういった人間の、ごく当たり前の生活が一瞬で消滅した…という趣旨のことを理解するのは、実は難しいことだったのではないかと回想してしまいます。
そこから三十数年を経過した、この平和記念公園の訪問でした。
冒頭のレストハウスや原爆ドーム、また、平和資料館の展示を拝見したり、係の方からの説明を伺うことで当時の事情を知るにつけ、こちらを訪問する意義というものは実に特別な、深遠な意味を持つものだったと思えますし、小学生時代の自身と比べてですが、自分なりに、今回訪問して見聞したものごとからその意味というものを、さまざまな視点から考えることが出来たのではないか、と感じた次第です。
来年、修学旅行の娘とも、そういった話をしてあげたいなと思います。
娘が今度はお世話になります…

さて、ここからは「JR広島駅」へと向かうことにしています。
路面電車の「原爆ドーム前駅」が、道路の真ん中に見えていました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。