みなさんこんにちは。
「江若鉄道(こうじゃくてつどう)の思い出展」を拝見しています。
「浜大津駅付近の大ジオラマ」を場所ごとに細かく拝見しているのですが、今日はこの画像いちばん奥に当たる「駅東端」を取り上げたいと思います。
「江若鉄道(こうじゃくてつどう)の思い出展」を拝見しています。

「浜大津駅付近の大ジオラマ」を場所ごとに細かく拝見しているのですが、今日はこの画像いちばん奥に当たる「駅東端」を取り上げたいと思います。

左側を走っているのは「京阪電車石山坂本線」、そして右側は「江若鉄道」の駅終端部です。この先はどうなっているのかといいますと…

「ジオラマ展示」のかたわらに、この模型がありました。
これが「江若鉄道の終端部」です。
これが「江若鉄道の終端部」です。

「京阪電車」の線路(下の2線)に「江若鉄道」からのレールが合流していることがわかります。
実は、先ほどの写真に写っていた「貨物列車」がこの合流部から「京阪電車」へ入り、「浜大津駅」から少し南の「京阪膳所駅(けいはんぜぜえき、滋賀県大津市)」まで乗り入れ、隣接する「膳所駅」から「国鉄東海道本線(現在のJR琵琶湖線)」から全国へと向けて、貨物輸送がおこなわれていました。

この「乗り入れ区間」で注目されるのは、線路が「3本レール」となっていたことでしょうか。
「軌道の幅」というのはさまざま種類がありますが、この区間を走る「京阪電車」は「標準軌(ひょうじゅんき、1.435mm)」、「江若鉄道」と、それに直通する「国鉄」は「狭軌(きょうき、1.067mm)」だったため、このような「3本レール区間」が存在していました。
「軌道の幅」というのはさまざま種類がありますが、この区間を走る「京阪電車」は「標準軌(ひょうじゅんき、1.435mm)」、「江若鉄道」と、それに直通する「国鉄」は「狭軌(きょうき、1.067mm)」だったため、このような「3本レール区間」が存在していました。
「大津」にはもちろん「国鉄大津駅」があったのですが「東海道本線」が開業した際には鉄道の建設が間に合わず、一部区間で「びわ湖を経由する鉄道連絡船輸送」が行われ、その際の「大津駅」はこの「浜大津」にありました。
また、そのような事情で「3本レール区間」の所有は「国鉄」で、後から開業した「京阪電車」が借用し、乗り入れている区間でもありました。意外な感じを受けます。

さて、この「3本レール区間」の模型を拝見していますと、気になる説明文がありました。「もとの湖岸の石垣」とあります。
現在は線路横には道路があるのですが…
現在は線路横には道路があるのですが…

「昭和30年代前半」の写真を見つけました。
国鉄線へ乗り入れていた「貨物列車」ですが、その脇を見ると、なんと線路のすぐ横まで「びわ湖」が広がっています!

同じ場所のものです。
現在では線路右隣には道路が並走し、「琵琶湖ホテル」や大型商業施設「浜大津アーカス」が立ち並んでいるのですが、湖岸からは結構離れているので大幅な埋め立てがなされたということが伺えます。
当時、「強風の際には湖面から吹き付ける水しぶきが車内まで入って来た」そうです。想像がつきません…
※出典 「関西の鉄道 No.53 京阪電気鉄道特集 PartⅣ」
(関西鉄道研究会発行 平成19年7月 P22-23)
次回に続きます。
今日はこんなところです。