みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「山小屋風のおしゃれな駅舎」。「東武鉄道日光駅」です。
では、この「東武日光駅」についても、
「各駅停車全国歴史散歩10 栃木県」
(小川 和佑著 河出書房新社編 昭和56年6月初版 絶版)
から拾ってみます。
東武観光路線の終着駅 東武日光
向かい合う二つの日光駅
日光市には国鉄と東武の二つの日光駅が至近距離に並んでいる。少し奥の方が東武日光駅である。この駅舎は最近、新築されて、いかにも観光線の終点駅らしく豪華な近代的駅舎になった。古典な国鉄駅と対照的である。
かつては、駅前の広場に日光軌道の電車が停まり、国鉄日光駅に出て、大通りを神橋へ登っていった。いまはそこはバスターミナルとなっている。駅前の空間が広びろとしているのは、かつてそこが日光軌道のロータリーであったからなのである。
駅構内のすぐ後側は、もう大谷川の河原である。東武鉄道が日光乗り入れを計画した時点では、終点駅はもっと上流の神橋付近、大谷川と稲荷川の合流点近くに設置されるはずであった。したがって、参拝客はそこから直接歩いて東照宮へ参詣できるはずであった。
しかし、この計画は地元の東町九ヵ町の反対で、計画地点よりずっと前方の、国鉄日光駅の近辺に変更することを余儀なくされてしまった。日光の街は門前町であり、国鉄の日光駅から神橋までは、両側に土産物店、旅館などが立ち並ぶ。東照宮付近に駅ができたのでは、観光客が歩かなくなってしまうのではないか、という危機感が神橋付近の駅設置反対の根拠であった。が、東武日光駅が国鉄日光駅と並んで下手に設置されたものの、その後、日光軌道ができ、バスが走り、現在のようにマイ・カーの時代がきて見ると、町民の反対は徒労だったようにも思われる。車はこの門前町を素通りして西参道へ直行してしまっている。
日光の町は、この大通りを中心に東西に二本の道が並行して走っている。東武日光駅から表通りを通らず、神橋に出る道はひっそりとした住宅が続く細い道である。この坂道のため傾斜した町全体は、いたる所に溝があって、透明な水が豊富に流れている。
(出典同 P136)
なるほど…古くに開業した「国鉄駅」が「街外れ」に設置されていたことからでしょうか、後続の「東武鉄道」は利便性向上のために「日光中心部」に駅を設置しようとしたようです。
ただ、文中にあるようにこの周辺は「東照宮の門前町」と言うことから「参詣客を逃したくない」という商店街の人々の思惑もあったものと推測されますが、現在ではそれが仇となっている…ということでしょうか。なかなか難しいところですね。
それから、「日光軌道」という路面電車が存在していたのですね。
現在でも存続していれば、街の光景、そして駅から各観光名所へのアクセスというものはまた異なったものになっていたのでしょうか。

さて、この「東武日光駅」ですが、「JR日光駅」からは緩い坂道を登ること2、3分程度の近いところに位置しています。
地図で見ますと、東武鉄道は日光駅に到着する直前、JR駅の少し先の引込み線をカーブで跨いでいることが特徴です。


ところで、ここでは「日光への鉄道アクセス」について述べるのですが、現在「東京方面」からのものはこの「東武鉄道」が圧倒している感があります。
というのも、「浅草駅」(東京都台東区)から特急列車が運転されていることに加え、JRの「新宿駅」(東京都新宿区)からも同様に特急列車が運転されている事実があることでしょうか。
この「新宿駅」からの特急列車は、「新宿駅~栗橋駅」(埼玉県久喜市)までは「JR線」を、その先は「東武鉄道」に乗り入れて「日光駅」まで運転されるという、特殊な運行形態が設定されています。
平成18(2006)年3月からの運転だと言います。

改札の手前まで入れましたので、様子を見てみましょう。
ホームが「2面」に分かれていますが、それゆえに構内は広いですね。

向かって左側には、これから「浅草駅」へ向かう列車が停車しています。
「車両とホームの柱が同様の塗装」というのはちょっと微笑ましいですね。

ここからは見えなかったのですが、15分後に件の「特急 JR新宿駅ゆき」 が発車するようです。

駅前には「相互直通記念プレート」もありました。
「JR線と地方私鉄、第三セクター会社との直通」は全国的に多く見られることですが、この例は、相手方が「大手私鉄」、それも「日光への観光客輸送」という点で「長年ライバル関係だった両者」ということで「大変画期的なことが行われたのだな」という印象を受けますね。
ただ、こんな記述もありました。
日光線エピソード
現在、国鉄の上野―日光間を結ぶ急行日光号の所要時間は二時間○八分。
一方、東武日光線の特急けごん号は東武浅草―東武日光間を一時間四一分で走っている。これは特急より速いかつての国鉄の急行日光号に対抗して東武がスピードアップをはかった結果で、国鉄が(急行としては特急並みの速い列車を設定しているという)珍ダイヤを廃止した後もこのスピードが維持されている。
国鉄は上野―宇都宮間を六五分、平均時速一一○キロメートルで疾走しても一度も事故はなかった。これは東北新幹線の予定所要時間とほぼ等しい(※注釈:東北新幹線・大宮―盛岡間開業は翌昭和57年)。もう一度、あの日光号のダイヤを組む意欲はないか。がんばれ!国鉄。
(出典同 P65)
と、ハッパをかけられています(>_<)
残念ながら、この後「急行 日光号」は廃止され、この6年後の「JR発足」(昭和62年4月)の後もJR線には「特急・急行」などの「定期優等列車」の設定はなされずでした。
その後、先ほど触れました「JR新宿~東武日光間」の「直通特急列車」の運転が設定されたものの、現在まで「JR駅」には定期特急列車の乗り入れはありません。

にぎやかな「東武駅」をあとに、「JR駅」へと戻って来ました。
この「二駅」を比較してみますと、こちらは「静けさ」という言葉がしっくり来ますね。



ホームには、すでに「宇都宮ゆき」が停車していました。
しかし、幾度見てもすばらしい雰囲気の駅です。末永く、残ってほしいと感じます。

折り返して、40分ほどかけて再び「宇都宮駅」へ戻って来ました。
途中から、観光帰りと思しきグループがたくさん乗車して来たので、車内は立ち客が出るほどでした。余計な心配ですが、ちょっと安心しました(笑)

今度は、「鹿沼ゆき」(栃木県鹿沼市)となって折り返します。
次回に続きます。
今日はこんなところです。