JR東日本 全線完乗への道!その27 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「気品と格調」という言葉がまさに当てはまる、「日光駅」(栃木県日光市)を訪問しています。

建物2階にある「旧・貴賓室」の見学を終えたあと、駅舎外へ出て来ました。

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こちらが、「日光駅」駅舎です。
先ほどの「貴賓室」や、「ホームの雰囲気」などと言い、やはり「駅舎」も風格がありますね。

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実に存在感があります。

この「日光駅」については・・・
「各駅停車全国歴史散歩10 栃木県」
(小川 和佑著 河出書房新社編 昭和56年6月初版 絶版)
から拾ってみたいと思います。

近代工芸の粋を集める 日光

日本鉄道時代の駅舎
 電車がホームに着く。争うようにして人びとが改札口に走ってゆく…観光地のどこにでも見られる見なれた風景である。
 駅前の小さなロータリーには土産物屋が並んで、その先に杉並木の先端が空にそそり立っている。他のどこでもない、日光へ来たのだという実感をそのそそり立つ杉の老樹の梢に見るのだった。ピエル・ロチ(※注釈:1850-1923。フランスの海軍士官、恋愛小説家。1900-1901年に来日している)風にいえばここは「日光霊山」の玄関口にある。東照宮の入口であると同時に、その背後の霜降高原(しもふりこうげん)や、奥日光温泉群への起点でもある。
 駅舎は木造折衷二階建。白いペンキ塗りの建物は当然のことながら日光線の駅舎の中で、最も瀟洒である。日本鉄道(※注釈:現在の「東北本線」、「日光線」などを明治期に建設した民営の鉄道会社)時代の駅舎に改造、増築が加えられたものであろうが、外国人観光客の乗降が多いことを考慮し、国際観光駅としての風格を持たせようと苦心したあとがうかがえる。しかし、欲を言えば、もう少し丁寧な補修が行われたたらば、この駅舎に、明治という時代が持っていたロマネスクを今に伝えることができただろうにと悔やまれる。
 一般の観光客には見落とされているかも知れないが、この駅舎にも、貴賓室がある。貴賓室は正面に向かって左手にある。この日光田母沢(※注釈:にっこうたもさわ。明治32年~昭和22年までは御用邸があった。昭和19年から終戦まで今上天皇が疎開されており、「玉音放送」をここ、日光で聴かれている。
平成12年から記念公園として開放)には、かつて大正天皇の御用邸があったので、おそらくその時代に天皇のご送迎のために作られたものであろうか。現在ではずっと使われることがないようだが、国際観光地であり、外国人VIPの来光の際などには、やはりこういう建物が必要なのであろう。私鉄をも含めて、栃木県内の駅舎の中でもっとも風格があるのがこの日光駅であろう。
(出典同 P66・68)

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それでは、駅前に戻ります。
歴史ある駅舎の横に「湧水」がありました。

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「日光のおいしい水です ご自由にお飲みください・・・」

と但し書きがあります。
一口、含みますときれの良い、清々しい感を受けました。

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さて、「JR日光駅」から離れ、少し散策をしてみたいと思います。

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「日光周辺」へは、この「JR日光駅」、また隣接する「東武鉄道日光駅」が玄関口になっています。
「華厳の滝」、「中禅寺湖」、「東照宮」、あるいは「霜降高原」といった名所は、駅からは距離がありバスなどに乗り換えが必要なようです。

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こちらは「日光駅周辺」の地図ですが・・・
やはり「東照宮」などの著名な社寺は、駅からは離れているようですね。

それでは、駅周辺を散策してみましょう。

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JR駅を出たところです。
通りには電柱などの類は一切見られず、空が広く見えますね。
左側に見える欧風の建物は「結婚式場」のようで、挙式への参加を終えたと思われるタキシードやドレス姿の人々が、このあと一斉に出て来ました。

しかし「土曜の夕刻」なのですが、駅へと向かう人はあまり見られません。
意外と言うかですが・・・

その答えは、駅前の目抜き通りを進んだところにありました。

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「JR駅」から歩くこと2、3分ほど、この広大な駐車場と駅が見えて来ました。

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「東武鉄道 日光駅」です。

「浅草」や「新宿」からここ「日光」、その途中から分岐して「鬼怒川温泉」や「会津方面」へ連絡する特急列車が頻繁に運転されており、「日光への鉄道のメインルート」は実質、こちらの「東武鉄道」になっている、という訳です。

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「JR駅」の周辺とは異なり、「バスターミナル」が駅前に設けられていて、バスが到着する度に大きな荷物を抱えた多くの乗客が吐き出され、東武駅へと向かって行きます。大変、にぎわっているという印象です。

また、奥には「土産物屋」も立ち並んでおり、繁華さという点ではこちらの方が圧倒的に有利な印象を受けます。

さて、「観光地」と言えば「お土産」ですね。
ではここで、「日光土産」として有名なのだという「羊羹」についてです。

日光羊羹―ひしやの竹皮包み
 日光の土産物屋にはやたらに羊羹の土産物が目立つ。日光羊羹は上方系の水羊羹と異なり、江戸系の固い練り羊羹である。日光が中学生の修学旅行のメッカであった頃には、手頃な土産物として濫造生産されたが、その中でずっと古い手造りの製法を愚守して来たのが、ひしやである。
 神橋のバス停の斜め向かいに、二階に千本格子の入った宿場の民家風な店がそれで、ここの羊羹は昔ながらの一本ごとの竹皮包み。一さおごとに舟に流し込んで、それを二○本に切る。日を置くと羊羹の四隅が半透明に固く糖化するという昔ながらの製法である。口に含むと小豆の懐かしい匂いがするのも懐かしい。まぎれもなく一級品である。店は頑固そうな老店主が取仕切っていて、一人一本の制限販売。その日の製品が売り切ればそれでおしまい、決して量産はしない。だいたい午後にはその日の分は売り切れる。味で勝負ならこれを推す。

(出典同 P69)

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この「東武日光駅」を、少し見て行きたいと思います。

次回に続きます。
今日はこんなところです。