JR東日本 全線完乗への道!その18 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「鹿島神宮駅(かしまじんぐうえき)」(茨城県鹿嶋市)に到着したところです。

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ここからは「鹿島臨海鉄道」という「第三セクター鉄道」に乗り換えます。
右隣に停車している「赤と黒」のディーゼルカーです。

ところで、この「鹿島神宮駅周辺の鉄道網」には、興味深いものがあります。
それについて、毎度おなじみの、
「各駅停車全国歴史散歩9 茨城県」
(茨城新聞社編 河出書房新社刊 昭和58年初版 絶版)
から拾ってみたいと思います(記載内容は当時のものです)。

信仰を集める武の神 鹿島神宮

建築美誇る社殿群
 鹿島神宮と鹿島臨海工業地帯で知られる鹿島郡鹿島町の西の玄関口に当たるのが鹿島神宮駅。首都圏と鉄鋼、石油化学工業地帯を結ぶ重要な駅で、その名は駅舎から左手に見える鹿島神宮にちなんでいる。昭和四五年八月に国鉄鹿島線が開業したが、現在の一日平均乗降客数は約三○○○人。臨海工業地帯を背景としていることから企業関係者の利用が圧倒的に多い。
 駅名にもなっている鹿島神宮は、うっそうと生い茂る樹木が物語るようにその歴史は古い。約一三○○年前に書かれた『常陸国風土記』には、”香島の宮”として詳しく記されており、創立は皇紀元年(神武天皇即位の年)といわれている。
(後略)
(出典同 P82)

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「鹿島神宮駅」周辺の地図をみますと、その駅名の由来となった「鹿島神宮」が駅の至近にあります。

ところで、この「鹿島神宮駅」から地図上で上、北方向へ向かうのですが、隣の「鹿島サッカースタジアム駅」までは「JR線の地図表記」がなされ、その先が「私鉄路線の表記」になっています。これが「鹿島臨海鉄道」です。

ですので、「JR線」と「鹿島臨海鉄道」との境界駅は「鹿島サッカースタジアム駅」ということになるのですが、この「鹿島神宮駅~鹿島サッカースタジアム駅を走行する旅客列車は、一部の臨時列車を除きすべて鹿島臨海鉄道の車両で運転」をされています。

「JR線であるのにも関わらず、普段はJR線の車両が乗り入れない」という、不思議な現象が起きているのですが…それでは、「鹿島神宮駅」を出発します。


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「鹿島サッカースタジアム駅」に近づいて来ました。

線路の向こうには、うっすらと巨大な建造物が見えます。これが「県立カシマサッカースタジアム」です。
「Jリーグ・鹿島アントラーズ」の本拠地で、この駅は「主に試合開催時のみ営業がなされる臨時駅」という扱いになっています。

当初は「国鉄北鹿島駅」として開業したのですが、当時は「貨物専用駅」であり、昭和60(1985)年に「鹿島臨海鉄道」が「水戸」まで開業した後、平成4(1992)年に「サッカースタジアムの開設」を受けて駅名を現在のものに改称し、「臨時駅」となった歴史があります。

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そういうことなので、「鹿島臨海鉄道が全通した際に、JRとの接続駅を鹿島神宮駅に変更しなかったのか?」という疑問があったのですが、あれこれひもといて参りますと、この駅が「国鉄北鹿島駅として開業した経緯があったためではないか」と推測されます。

そして、先ほど触れましたように「鹿島臨海工業地帯」が至近ということで、このように長大な貨物列車が停車している姿も見られました。
ただし、「貨物列車の運転」はこの駅までで、「鹿島臨海鉄道・水戸方面」への乗り入れは現在、廃止されているとのこと。

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さて、先ほど、ご覧頂いたのと同じ地図ですが…

「鹿島神宮駅~鹿島サッカースタジアム駅」の間から、もう一本、線路が下へ延びているのがわかります。
実は「鹿島臨海鉄道」はこの「下へ延びる線路」が「最初に開業した区間」だとのことで、それについてもちょっと拾ってみたいと思います。

世界最大級の港湾
 鹿島神宮が西の玄関口なら東の玄関口は、世紀の大事業といわれた鹿島開発によって誕生した鹿島港。鹿島臨海工業地帯の核となる世界最大級の掘り込み式港湾で、鹿島砂丘を掘って造られ、幅員六○○㍍、長さ二五○○㍍、水深二○㍍の中央航路をはじめ、外港航路、南、北航路が整備されている。Y字形の港の両側には鉄鋼団地、石油化学コンビナートが立地し、年間一万隻を超える外国船舶などが行き交う。
 鹿島開発は、昭和三五年に鹿島灘沿岸地域総合開発の構想が作成され、事実上のスタートを切った。鹿島砂丘に港と臨海工業地帯を建設しようというもので、最初、「この荒れ狂う鹿島灘に港が出来るわけがない」とタカをくくっていた地元の人たちも日ごと工業地帯へと変貌を遂げる急激な開発に舌を巻くほどだったという。
 鹿島線の第一期工事が開始されたのは、この鹿島開発当初の昭和四二年三月。香取―北鹿島間の一七・四㌔を対象に着工し、現在は東京駅と鹿島神宮駅をエル特急「あやめ号」が約二時間で行き来している。昭和五七年に駅前整備が完了し、新旧二つの顔を持つ鹿島町の陸の拠点として重要な役割を果たしている。
(出典同 P83)

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その「下へ延びる線路」をたどって行くと、「港湾地帯」につながりました。
このあたりで「鹿島市」から「神栖市(かみすし)」へと入っています。

工業地帯の輸送動脈 神栖

旅客列車は一日三往復
 鹿島臨海鉄道は、鹿島臨海工業地帯の輸送動脈として、年間一七○万㌧の貨物を扱う。鹿島開発に伴い、鹿島工業地帯の生産品及び原料の輸送を目的に国鉄や県、それに進出企業が共同出資して昭和四四年三月に会社を設立した。貨物輸送は翌四五年から開始されたが、その後千葉県成田に建設された新東京国際空港(※注釈:現在の「成田国際空港」)の開港に伴い、空港まで飛行機に給油するジェット燃料用パイプラインが完成するまで同臨鉄が燃料を暫定輸送するようになる。その見返りとして五三年七月からは旅客営業も行うことになった。(後略)
(出典同 P166)

ここからですと、大型船舶が発着出来、成田空港への距離も比較的近いですし、なにより「首都圏」へもアクセスが良いですから、港湾建設は「自明の利」ともいう感を受けます。

この「貨物線」は現在でも稼働中なのですが、記載にありますように、かつて昭和53(1978)~58(1983)年までの5年間はこの区間でも「旅客営業」もしていたとのこと。
ただ、「工業地帯のど真ん中という路線状況」だったので乗客も少なく、廃止の憂き目になったようです。

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そういうことで、「鹿島サッカースタジアム駅」からようやく「鹿島臨海鉄道」へと入ります。ちなみに、持参している「週末パス」でこの路線にも乗車することが出来ます。

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「荒野台駅(こうやだいえき)」に到着。
駅名標識を確認してみたのですが、隣は「鹿島神宮駅」となっており「鹿島サッカースタジアム駅」の表記がありません。
ちなみに「鹿島神宮駅」の駅名標識には「鹿島サッカースタジアム」の表記があったので、
「鹿島臨海鉄道とJR線それぞれの扱いの違い」のが感じられ、興味深いですね。

ところで、この「荒野台駅」の隣駅なのですが…

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その駅は
長者が浜潮騒はまなす公園前
(ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまえ)
(茨城県鹿嶋市)という、ものすごく長い駅名です。

これだけ「長い駅名」なので、ひょっとして「日本一」ではないかと思ったので、毎度おなじみ「Wikipedia」から拾って来ました。

日本一長い駅名
読み仮名が22文字あり、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅(南阿蘇鉄道高森線)と並んで日本一長い駅名である。

正式表記では13文字あり、開設当初は正式表記でも日本一長い駅名(それまでのトップは札幌市電の西線9条旭山公園停留所)であったが、1992(平成4)年に南阿蘇鉄道高森線に南阿蘇水の生まれる里白水高原駅(正式表記で14文字、読み仮名で22文字)が開業。読み仮名の文字数では同数だが、正式表記の文字数で日本一の座を同駅に譲った。その後一畑電鉄北松江線に「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」が松江イングリッシュガーデン前駅(正式表記で14文字、読み仮名で16文字)に改称したことにより、読み仮名では日本一に返り咲いた。

ということで「日本一タイトルの座を巡っての熾烈な争い」(?)が過去に行われていたようです。
ちなみに、「日本一短い駅名」は、かの有名な「津(つ)」駅(三重県津市)です。

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いや、今回の記事はひもとくことが多くて、個人的には楽しいものがあるのですが(笑) 列車は「鹿島臨海鉄道」の「主要駅」、「新鉾田駅(しんほこたえき)」(茨城県鉾田市)に到着しました。

鉾田市内に鉄道はこの「鹿島臨海鉄道」しかないのですが、駅名に「新」が入っているのは平成19(2007)年まで「鹿島鉄道・鉾田駅」が存在していたためでしょうか(現在は廃止)。

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ここで、「鹿島神宮ゆき」の列車と行き違いです。

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反対方向へ向かう列車からは、高校生たちがちらほらと下車して行きました。

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5分ほど停車したでしょうか、鹿島神宮ゆきの姿が見えなくなって出発です。

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地図では「北浦」の北端のようですね。また、「茨城空港」も近いようです。

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さて、「新鉾田駅」で乗客が下車した際には、車内はこのようにのんびりとした雰囲気に包まれていました。個人的には、このくらいの空き具合が好きです。

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「新鉾田駅」からも高架線路でまっすぐに田園地帯を走り抜けて行きます。

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いい風景ですね。
既に田植えは終わっているようで、まだ背の低い苗が水田に点々と見えます。

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列車は「大洗駅(おおあらいえき)」(茨城県東茨城郡大洗町)を経由。
「カーフェリー停泊地」として、ちょこちょこと名前を聞きます。

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雨も小降りになってきたところで、進行方向右側から別の線路が近づいて来ました。「JR常磐線(じょうばんせん)」です。

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そして間もなく、「北関東の主要都市」である終着駅の「水戸駅(みとえき)」(茨城県水戸市)に到着!

水郷あり、雨にけぶる広大な田園あり、臨時駅や工業地帯ありと、大変興味深い「鹿島臨海鉄道」でした。

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次回に続きます。
今日はこんなところです。