みなさんこんにちは。今日の話題です。
昨日の記事で、明日、23日に「半世紀にわたるブルートレインの歴史が幕を降ろす」という報道を取り上げました。
その「最後のブルートレイン」とは「上野~札幌間」を結ぶ「寝台特急 北斗星号」です。
「青函トンネル開業」(昭和63年3月)に合わせ、「東京~北海道間を乗り換えなしで結ぶ”豪華寝台特急”として人気を博していたのですが、今日はその「北斗星号」
に「念願の乗車」を果たした際の「乗車記」をお送りしたいと思います。
時はさかのぼること15年ほど前の「平成12(2000)年12月某日」でした。
それではどうぞ!(^^)!

まずはこちらから。「新大阪駅」(大阪市淀川区)の「新幹線ホーム」です。
早朝6時15分頃ですが、「冬」ということで、この時間ではまだ真っ暗です。
乗車しようと言うのは「ひかり204号 東京ゆき」。

発車まで20分ほどあったので、先頭車両まで行ったようです。
手前が「ひかり号」、奥は当時「最新鋭」だった「700系のぞみ号」です。

この「ひかり204号」ですが、いまとなっては懐かしい「300系車両」でした。
従来より「50km/h」も速い「時速270km/h」で運転され、「東京・大阪間」を「2時間半」で結ぶという、大幅な所要時間短縮を実現した「初代・のぞみ号」として新造されましたが、平成22(2012)年に「全車勇退」しています。

東京駅に到着。ここでも「撮り鉄」していたようです。
こちらは、伊豆半島へ向かう「伊豆急行」の「アルファ・リゾート21」という列車。

続いては地下の「京葉線(けいようせん)」ホームへ移動。
こちらも、現在では関東からは全て引退した「103系電車」です。
この「103系電車」、かつては「仙台周辺」「首都圏」「中京圏」「京阪神」「福岡周辺」
で「飽きるほど目にした車両」なのですが、「首都圏」からはこの9年後の平成21(2009)年、「常磐線」の車両を最後に姿を消しました。

続いては「特急 踊り子号」。
「185系」という形式で、こちらは現在でも現役ですが、徐々に廃車が進んでいると聞きます。
さて、その後にもいろいろと「撮り鉄」していた記録があるのですが、本題から外れそうなので(笑)また別の機会に取り上げたいと思います。
「本題」に戻りまして、いよいよ「寝台特急 北斗星号」が発車する「上野駅」(東京都台東区)へやって来ました。

上野駅、13番線です。
停車しているのは「16時50分発 寝台特急 北斗星1号 札幌ゆき」です。

この日は、午後から少々小雨だったので、最後尾の客車はうっすらと雨に濡れています。

「客車」に取り付けられている「北斗星号」の「エンブレム」です。
華やかな意匠のエンブレムを見るにつけ、「特別な列車なのだな」という印象をあらためて受けました。

先頭の「機関車」も見ておかないと気が済みませんね☆

「機関車」の次には、「電源車」という「列車全体で使用する電力を発電、供給する専用車両」が連結されています。近づくと、大きなエンジン音がします。


この日の「牽引機」は「EF81 88号機」。
「交直流機関車 EF88型」という形式で、ここ「上野」から長躯「青森」までを「機関車交代なし」で走破出来るものです。

「北斗星号」のヘッドマーク。
きらめく「北斗七星」をあしらったデザインが特徴的です。
さて、いよいよ出発です。


車内の様子です。
古くから、数多くの寝台列車に連結されていた「開放式寝台」(カーテンのみで仕切られたブース)もこの「北斗星号」にはあるのですが、多くはこのような「個室寝台」が多くを占めており、人気の一つとなっていました。

わたしに割り当てられたのは「B寝台ソロ」という個室です。
「寝台兼座席」の上に大きな出っぱりがありますが、実は「B寝台ソロ」は「二層式」になっていて、この上には「階上部の個室」が設けられています。
ということで、わたしの寝台は「階下部の個室」になります。
「糊の効いたシーツや浴衣」、「肘掛や頭元の白いカバー」など、狭い空間であるのは間違いないのですが、その中でも「特別な設備である」ということを主張しているように思えます。

枕元には「読書灯」や「エアコンスイッチ」、また「オーディオサービス」など、コンパクトにまとめられています。居住性が良いですね。
それでは、「車内の探検」に向かってみたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。