さよならブルートレイン~90年代の一コマから~ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。

さて、表題にありますように、「ブルートレイン」について取り上げたいと思います。

「ブルートレイン」とは、旧・国鉄時代の昭和33(1958)年、「20系客車」という当時としては「破格の装備」を備えた客車を用いて運行が開始された「寝台特急」のことを指します(「客車の色がブルー」ということで「ブルートレイン」と称されるようになったとの説があります)。

当時の「夜行列車」と言いますと、旧型の客車が用いられることがほとんどで「居住性」という点が問題になっていたようですが、そこで登場した「20系客車」は「オール電化」で「安全性の担保がなされた」ということ、また「個室寝台、食堂車」などを備えた「豪華な設備」で「走るホテル」なる呼ばれ方をしていたようです。

その後は、東京・大阪を起点としてまずは「九州各地」への寝台特急に、そして「東北方面」、「青函トンネル開業」(昭和63年3月)以降は「北海道」へも足跡を残し、「長距離の旅」にはなくてはならない存在として親しまれて来ました。

しかし、「並行する新幹線のスピードアップ」、「航空機の発達」、「格安の夜行バスの充実」など、さまざまな理由で「寝台特急」の需要は徐々に低下、早くも1990年代にはその大きなウリであった「食堂車」も多くの列車から撤退してしまいました。

その後は数本の列車が運転される状態に至り、ついに明日、8月22日発(目的地には23日に到着予定)の「寝台特急北斗星号 札幌発上野ゆき」の運転終了を以って、「半世紀以上に及ぶ歴史」に幕を下ろすことになる、と報道されています。

この「北斗星号の運転終了」は、来年3月26日開業予定の「北海道新幹線」に関係するもので、「青函トンネルで新幹線と在来線を共用すること」などの点で問題が生じるためだとのこと。

ところで、「寝台特急の想い出」と言いますと、やはり「独特な、豊かな旅情を味わえる」ということではないでしょうか。

「夜汽車の味わい」と、そして「目覚めた朝に目的地に到着出来る」ということ、個人的には「横になって眠ることが出来る」ということが「他の交通手段にはない大きなアドバンテージ」だったと思うのですが…

前置きが長くなりましたが、今日ご紹介するのはその「ブルートレイン」がまだまだ全盛期だった「平成6(1994)年3月」の記録です。

当時、高校生だったわたしが「青春18きっぷ」で各地をあちこち「乗り鉄」していて、その折に撮影したものです。腕がなくていつもお見苦しいのはご容赦ください(笑)

それではどうぞ(^O^)

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場所は「夜の東京駅」です。

停車しているのは「寝台特急 あさかぜ号」。
牽引している機関車は「EF66」という形式で、これは現在でも「貨物列車」を牽引する姿を見ることが出来ます。

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こちらは「最後尾」からの写真です。

記録によると「あさかぜ3号 下関ゆき」とありますが、この前に発車した「あさかぜ1号」は「博多駅」まで行く便でした。

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続いては2日後のもの。「上野駅」にやって来ました。
今回、廃止になるという「寝台特急 北斗星号」です。

後方からは「宇都宮線」「高崎線」の電車が発着していて、「夕方のラッシュ時間」ということで大勢の乗客の姿が見えます。

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こちらの機関車は「赤色」。
「EF81」という形式のもので、こちらもやはり現在でも「貨物列車の牽引」でその姿を見ることが出来ます。

また、先ほどの東京駅での「EF66」とは異なり、こちらは「交直流機関車」で、「理論的には全国各地、架線の敷かれているJR在来線ではどこでも走ることが出来る」というものです(「EF66」は「直流専用機関車」です)。

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ホーム反対側から。機関車の側面に、うっすらと「白い星」の装飾が見えます。

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その後は再び、東京駅へ戻って来たようです。
時間は20時を回った頃、こちらは「寝台特急 瀬戸号」。「瀬戸大橋」を通って「高松」へ向かいます。

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続いては、「寝台特急 出雲号」。赤いヘッドマークが印象的です。
牽引する機関車は「EF65(1000番台)」と言われる形式で、東京発のブルートレインで「主任機」になっていたものです。

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こちらは「客車最後尾」。

ちなみに、この「瀬戸号」と「出雲号」は、現在「サンライズ瀬戸・出雲号」として運行されていて、人気を博しています。

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「東京駅」での最後の一枚はこちら。

この駅から発車する「ブルートレイン」の「最終便」、「寝台急行 銀河号」です。
「大阪」までを結ぶ列車で、「ビジネスマン」の利用が多く重宝されていたそうです。

ちなみに後方は「東北・上越新幹線ホーム」なのですが、現在では全廃された「200系」が停車していることが確認出来ます。

さて、この後わたしはどうしたのかと言いますと…

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高校生だったわたしには「ブルートレインに乗る」などと言うことは出来なかったの
で、当時、毎日運転されていた「夜行快速」の「大垣ゆき」に乗車しました。

こちらであれば、「青春18きっぷ」を含めて「乗車券」だけで利用出来たので、上京する時には大変お世話になりました。

深夜の浜松駅にて。

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その浜松駅では、東京駅を後から発車した「寝台特急 あさかぜ1号」に追い抜かれました。

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ところ変わって、こちらは「大阪駅」です。

先ほどの「大垣ゆき」に乗車した後、米原・敦賀と乗り継いで「小浜線(おばません)」に初乗車、舞鶴・宮津を経由して和田山から「播但線(ばんたんせん)」に入り、夜に姫路から大阪へ戻ったようです。

結局、「夜行列車→次の日も乗り鉄」していたようで、いまではとてもではないです
が、出来るような芸当ではありません(笑)
若いからこそ出来た「強行軍」だったのでしょうね(>_<)

本題ですが、こちらは「日本海沿いを縦貫する列車」、「寝台特急 日本海号」です。

記録では「日本海3号(青森ゆき)」とあるのですが、夕方5時前に出発していた「日本海1号」は「青函トンネル」を抜けた「函館ゆき」でした。

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続いてはこちら。「急行 シュプール白馬・栂池 白馬ゆき」です。
シーズンのみに運転されていた「スキー列車」で、こちらは「寝台車」と「座席車」が併結されていました。

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そして、こちらは「寝台特急 なは号」です。
「鹿児島本線」を経由し「西鹿児島駅(現在の「鹿児島中央駅」)」までを結んでいた列車で、「ヘッドマーク」の「ヤシの木」は「沖縄のイメージ」ですね。

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最後にこちらです。

2枚前の「シュプール白馬・栂池号」なのですが、撮影日が違い、また使用されている列車が先のものと異なります。
こちらが冒頭で触れました「元祖ブルートレイン」と言われる「20系客車」という形式で、「丸みを帯びたデザイン」が特徴的です。

「20系客車の晩年」だったこの頃、既に「ブルートレイン」からは運用を外されており、このように「臨時列車」として運転されることが主になっていました。

ということで、大変拙い写真ばかりで申し訳ありませんでした(+o+)

その「ブルートレイン」ですが、明日、22日に運転される「寝台特急 北斗星号」を以って全廃されると言う報道がなされています。
明日、明後日の記事では、その「寝台特急 北斗星号」に「念願の乗車を果たした際の記録」をお送りしたいと思います。どうぞお楽しみに。

次回に続きます。
今日はこんなところです。