みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「成田山新勝寺」へ詣でているところです。いよいよ「本堂」へやって来ました。

まずは、こちらでお浄めです。いろいろと、かなり汚れてますので(笑)
「頭と腰が悪い」と自覚しているので、その周辺に煙をよくまぶします(^O^)

こちらが「本堂」です。本当に大きく、立派ですね…
「本尊」の「不動明王像」が安置されています。
さて、ここからは、わたしの拙い説明よりも、前回でも取り上げました、
「各駅停車全国歴史散歩14 千葉県」
(千葉日報社編 河出書房新書刊 昭和58年初版 絶版)
の解説の方がわかりやすいので(笑)どうぞご参照ください。
山内は文化財の宝庫
二二万平方㍍の広い山内には、種々の文化財が質量ともに豊富である。
まず、①本尊の不動明王像は国指定の重要文化財で、像高一・三四㍍の寄木造り、右手に利剣をかかえ火焔を背負い、怒りと慈悲の心を表している。左右に童子を従え三体セットで安置されている。文化財調査団によれば、これは鎌倉時代の名品と断定され、当初に弘法大師の刻んだ木像のあとに敬刻されたものらしい。五九年四月から、成田市制三○年を記念してお開帳が企画されているが、秘仏なので身代わり像を一般公開するという。
山頂にある光明堂は、元禄一四年(一七○一)建立で、二度目に本堂に使われた総朱塗りの古い建物(国重文)。境内西の釈迦堂は銅板瓦棒葺き・総ケヤキ造り、安政五年(一八五八)に建て昭和四三年まで旧本堂であった。いまは釈迦如来を安置し、堂壁に五百羅漢の彫刻がある(国重文)。山内入口の石段中腹に建つ仁王門は、左右に金剛力士像を配置し、天保年間に再建されたもの(国重文)。
②新本堂わきに建つ高さ二七㍍の三重塔は正徳二年(一七一二)建立された色彩優美な芸術建築である(国重文)。
③近くに一切経を収める八角形回転台付きの一切経蔵がある。これは享保年間設置の市文化財である。
④その前にある鐘楼は、宝永年間建立で毎朝六つ、暮れ六つ、正午の三回これを撞く。
参道坂上に残る薬師堂は、江戸の明歴年間、最初の本堂として使われた市内最古の建物で市文化財。幕末文久年間に建てた学堂には、信者奉納の絵馬が収められている(国重文)。
参道坂上に残る薬師堂は、江戸の明歴年間、最初の本堂として使われた市内最古の建物で市文化財。幕末文久年間に建てた学堂には、信者奉納の絵馬が収められている(国重文)。
(出典同 P156 記載内容は昭和58年の刊行当時のもの)

「本堂」から境内向かって左側の様子。参拝客の姿は少ないように見えますが、次から次へと人がやって来て、静寂の中にもにぎわいを感じます。

「大きな鐘」が印象的です。

そして、こちらが②の「三重塔」(国重要文化財)です。

こちらも立派ですね。「大きさ、美しさ」に感嘆するばかりです。

「三重塔」を近くで見上げますと、庇の裏側には「極彩色の装飾」が!
これは、まさに「目からウロコ」。ただ、「キレイやなあ」と、見上げるばかりです。

大変な迫力でした。

その「三重塔」の傍らには④「鐘楼」があります。
こちらも、彩色が絢爛豪華ですね。

「鐘の重量」は「1.068kg」!
近くでは見られなかったのですが、どんな音がするのか聴いてみたいですね。

その横には③「一切経堂(いっさいきょうどう)」という建物がありました。

こちらも荘厳なつくりなのですが、「一切経」(または「大蔵経」とも)というのは、
お釈迦様の教説である『三蔵』
『経蔵(きょうぞう)=お釈迦様が説いた教え』
『律蔵(りつぞう)=戒律』
『論蔵(ろんぞう)=弟子たちの教法に関わる研究』
の経典を収めた「専用の蔵庫」だとのこと。
仏教のことはよくわからないのですが、「経」という「お寺さんにしてみれば重要なものを収蔵している」ということだけはわかりました(笑)
いや、難しいこともあったのですが、これほど荘厳で、なおかつ歴史の重みがあり、また彩やかな装飾などを見ることが出来、大変いい経験が出来ました。
昔の人が、泊りがけで参詣したということもなんだか頷ける気がします。

さて、駅へ戻ることにします。これはきっと、ご利益があるに違いありません(^^)v
毎日、清く正しく生活しないといけないですね(笑)
次回に続きます。
今日はこんなところです。