みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「京阪電車樟葉駅前」にあります「SANZEN-HIROBA」(大阪府枚方市)で行われていた「比叡山鉄道」、通称「坂本ケーブル」にまつわる「期間限定展示」を拝見しているところです。


今日は、こちらのショーケースから拝見して行きたいと思います。

まず、目に入ったのがこの「昭和初期の坂本ケーブル路線案内図」です。
大正から昭和初期にかけて、この手の「案内図」でよく用いられた「鳥瞰図(ちょうかんず)」という「独特の手法」で描かれたものです。

現在の地図で表しますと、このような方角になります。
「北が右」、「びわ湖が下」と、普段は見慣れない地形になります。
では、さっそくその「鳥瞰図」を見て行きたいと思います。

「案内図の左端」から見て参りたいと思います。
手前は「びわ湖」、その左端から流出する川は「瀬田川(せたがわ)」です。
「びわ湖から唯一流出する川」で、その始まりには古くから「交通の要衝」であった「瀬田の唐橋」があります。
「瀬田川」は京都府との県境を越えると「天ヶ瀬ダム」(京都府宇治市、この当時は建設されていなかった)を経て、名称が「宇治川」となり、しばらく進んだところで「木津川・桂川」と合流、「淀川」となって「大阪湾」に注ぎます。
ところで、この「案内図」をよく見てみますと、「左上」には「下関」(山口県下関市)の文字があります。
もちろん、このアングルからは「下関」は見えないのですが、なかなか「壮大な感」を受けます。
本題に戻りますが、手前は「浜大津港」です。
昔も今も、「びわ湖観光の拠点」となっているところです。

そこから「右(方角では北東)」に移動します。
「びわ湖の西岸」、通称「湖西(こせい)」と呼ばれる地域です。
「浜大津港」を出航した「島巡り」の観光船が北へ向かっています。
また、山の方角を見てみますと、重なり合うように、徐々に険しくなって来ていることが分かります。

「坂本付近」にやって来ました。今回、本題の「坂本ケーブル」が登場します。
「ふもと」は「坂本驛」なのですが、「頂上」は「叡山中道驛」と、現在とは名称が異なっています。
また、山頂にはさまざまな「仏教史跡」が点在していることがわかりますね。

「坂本付近」からさらに「北東方向」へ向かっています。

「びわ湖」の「真ん中」から「北半分」が望めるところまでやって来ました。
湖に浮かぶ「多景島(たけいしま、たけしま)」、そして北端に近い「竹生島(ちくぶじま)」が確認出来ますね。
地図の中央から下付近には「雄琴温泉(おごとおんせん)」、少し真ん中へ上がると「水泳場」で知られる「近江舞子(おうみまいこ)」、また背景には「比良山(ひらさん)」なども見られます。
「夏は避暑地」、「冬はスキー」と、人気の観光地だったようです。
ちなみに、「比良山系」の向こうは「福井県」の「若狭地方」がほど近いところです。
また、「浜大津駅付近」から「湖岸に沿って線路が延びている」のですが、これは「江若鉄道(こうじゃくてつどう)」という路線で、「浜大津」(滋賀県大津市)から「近江今津」(滋賀県高島市)までを結んでいました。
先ほど触れたような、「観光地として、通年需要の多い有望な路線」だったのですが、「国鉄湖西線」の建設が持ち上がり、それと競合するため昭和44(1969)年に
「全線廃止」となりました(「国鉄湖西線の開業」は、5年後の昭和49年(1974)年でした)。
「江若鉄道」については、後日、別に項を設けて取り上げたいと思っています。

さて、観察しているだけでもなかなか興味深い「鳥瞰図」でしたが、今度はその周りの展示に移りたいと思います。いろいろなものがありますが・・・


こちらは「車両のペーパークラフト」ですね。
平成5(1993)年に登場した「最新車両」です。竣工の際などで記念に配布されたものでしょうか。
しかし、「ケーブルカーならでは」と言いますか、「急勾配の線路」が再現されているというのは、凝っていますね。

こちらは「乗車券類」です。

その中で、特に目を引いたのがこれ!
まるで「絵馬」のようですが、これは「木製の乗車券」だそうです。
現在もこのようなものがあれば、「大変話題になって売れるのではないか」と思うのですが…(発売されていれば是非買いたいです…)

続いては、「歴代車両の写真パネル展示」がありました。

「初代車両」、昭和2(1927)年に開業した際のものです。
「角ばった車体」に時代を感じますが、注目が行ったのは屋根上の「パンタグラフ(集電器)」でしょうか。
まるで「櫓」のような、はたまた「時計台」のような「見たことのない形」です。

こちらは、終戦後の車両のようです。カラーでないのでどのような色合いかはわからないのですが、塗装が二色、施されていますね。

続いては、昭和33(1958)年製造の車両。
「大きな正面二枚窓」ですが、「坂本ケーブル」と言えば、わたしはこの車両の記憶が大きいです。

そして、平成5(1993)年登場の「最新車両」です。
「赤色」と「深緑色」からは、落ち着いた印象を受けます。

こちらは「歴代車両の車内の様子」ですね。
時代によって座席が「板張り」、「モケット」などと異なることが興味深いところです。

続いてはこちらです。

平成5(1993)年に製造された「現車両」には、それぞれ「縁号」「福号」という名称が付けられています。
こちらは、それらの車両に取り付けられている「黄金のプレート」です。
ちなみに、揮毫は「第253世 山田恵諦(やまだ えたい)天台座主」(1895-1994)によるものだとのこと。ご利益がありそうです。

こちらは「ケーブルカーを引っ張るロープ(索条・さくじょう)」の一部。
「直径38cm」とのことですが、たくさんの針金が束ねられていますね。

その傍らには、「来賓芳名録」がありました。
土地柄、多くの著名人が「比叡山訪問」にあたり、この「坂本ケーブル」を利用した
そうで、ケーブル駅舎には「貴賓室」が設けられていたとのこと。

記名の人物も、なかなか大物の方ばかりです。
「山本権兵衛(やまもと ごんのひょうえ、ごんべい 1852-1933)」は、大正期に「内閣総理大臣」を2度務めた人物です。
また「犬養毅(いぬかい つよし 1855-1932)」も、同じく「内閣総理大臣」を務めた人物として知られていますが、「旧・帝国陸軍のクーデター」である「5・15事件」(1932年5月15日)において、暗殺されたことは「歴史上有名な事件」です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。