みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「JR九州 全線完乗」を目指す旅、「第1日目」です。
徐々に陽が傾き始め、いかにも「旅をしている」という、いい感じになってきました。

「日田駅」(大分県日田市)から乗車して来た「JR九州」自慢の「人気リゾート列車」、「ゆふいんの森 5号」が終着駅の「由布院駅」(大分県由布市湯布院町)に到着したところです。

「由布院駅」です。

「久留米」と「大分」を結ぶこの「久大本線」には、実は「ゆふ高原線」という愛称が付けられているようです。
「この線の最大の観光地」というとやはりここ「由布院」なので、ぴったりな愛称ですね。

さて、この駅は「終着駅」なので列車の観察がじっくり出来ます。
さっそく見て行きたいと思います。

前回の記事でも触れましたが、この「特急 ゆふいんの森」号の「最大の特徴」であり、かつ「人気」の一つが、「客室面が通常より高い位置に設置されている」という「ハイデッカー構造」です。

車外から窓を見てみると、その「高さ」がよくわかりますね。景色も良いはずです。

こちらは、車体側面の「ロゴマーク」。格好いいですね。
今年で「デビューから25周年」なのだそうですが、そういった「年月の経過」をみじんも感じさせない「オシャレさ」を感じさせます。

「最後尾」(博多方)にやって来ました。
「乗客サービスの一環」ということで、アテンダントの方が乗客の「カメラ撮影サービス」をされていました。
と言いますか、「由布院到着前」に、「車内アナウンス」で「由布院駅到着後、列車の先頭と最後尾で写真撮影サービスを行いますのでご希望の方はどうぞおいでください」というような放送がなされていました。これには、ちょっとびっくりしました。
この「撮影サービス」もそうですが、アテンダントの方々は車内でもこまめに乗客に声をかけて回っておられるなど、ほんと「サービス精神満点」でした。
「JR九州」が運行している、話題の「超豪華人気寝台列車」の「ななつ星」が大変な人気を博しているのも、このような素地があるからこそなのかな、と頷けます。

「最後尾」から、ここまでやって来た「日田・久留米方面」を望む。
天候も良く、夕陽を浴びて実にすがすがしいです。


さて、改札を出ます。
乗車して来た「ゆふいんの森」号は折り返しの「博多ゆき」になるということで、乗車待ちの人々で改札前には長蛇の列が出来ていました。
時間帯も、「夕方由布院発→夜博多到着」なので、ちょうどいいのでしょうね。

この「由布院駅」を出ると、まず目に入るのがこの風景です。

雄大にそびえ立つ山。「由布岳」(1584メートル)です。
これについては、先日もご紹介しました
「各駅停車全国歴史散歩45 大分県」
(大分合同新聞社編 河出書房新社刊 昭和58年11月初版 絶版)
からご紹介したいと思います。
豊後富士の由布岳
町のシンボル的な存在は豊後富士と呼ばれる由布岳(一五八四㍍)。駅のホームから仰ぎ見る山は見事な双頭峰で、三角点のある西峰と、ほとんど同じ高さの東峰が並ぶ。しかも山体はトロイデ(鐘状火山)で、コニーデ(成層火山)の富士山とはあまり似ていない。しかし、古代の豊後国府があった大分市方面からみると細長い東峰山稜が平らな頂に見え、富士山型となる。豊後富士の名も、おそらく大分地方で生まれたのであろう。
ともあれ大分の人々に古くから親しまれ、あがめられた山である。独立峰であるだけに各地からよく見える上に目立ち、この山の見えるところに富士見の地名がつく例も三、四ある。
…古来、多くの詩歌にうたわれた。大分、別府の両市に近く、交通の便もよいため、登山者もたくさん。
(出典同 P112)
ということで、「連立した山々の中の峰」ではなく、「独立峰」がゆえに目立ち、多くの人々から仰ぎ見られていたようですね。
「日本各地にある形のいい山」を地元の方々が「○○富士」と呼称してきた例は有名ですが、このくだりを読むと、「豊後富士」と呼ばれてきた「由来、親しみの深さ」のようなものを殊に感じます。

しばらく圧倒されていましたが…駅前を散策してみたいと思います。
と、気になる看板が。「辻馬車」とは??
しばらく待ってみますと…

やって来ました。こちらがその「辻馬車」です。
結構というか、ゆっくりと歩いていますがそれがいいのでしょうね。
時間があれば乗ってみたいところでもあるのですが。
(右端のおねいさん、ちょっと驚きすぎなような…)
この後は、駅前商店街を少し散策したり、地酒の試飲などして来ました。何も買わなかったので、単なる冷やかしでした(笑)


いい気分で駅構内に戻ります。
停車していた「ゆふいんの森」号は既に「博多駅」へ出発した後で、がらんとしていました。
しかし、この駅、駅員さんが居るのに改札口には駅員さんは居らず。自由にホームへ入れるのですね。

さて、この「由布院駅」ですが、お気づきの方も居られるかも知れませんが「駅所在地」は「由布市湯布院町」となっています。
「由布院」は「温泉」で全国的に有名な観光地ですが、「由布院」「湯布院」と、異なる名称表記がなされていることを、旅行パンフレットなどを見ているとよく目にします。
「なんで表記が異なるのか?」というところですが、これについても調べてみました。
先の「各駅停車全国歴史散歩45 大分県」からの引用です。
由布院と湯布院
谷間を抜けて南由布駅に着くと、視界がぱっと広がる。由布院盆地である。久大本線は盆地中央部に進み、由布院駅を置いて一八○度引き返す感じで水分峠の登りにかかる。
駅名は由布院だが、町の名は湯布院である。昭和三○年に合併したさい(※注釈)、名前の方も合併したからである。このため町内では公共機関や民間企業の名乗りに「由」と「湯」が混在し、外来者が戸惑うこともしばしばである。
(出典同 P112)
※注釈 昭和30(1955)年に、「旧・湯平町」と「旧・由布院町」が合併。
「合併後の町名」は、「旧・湯平町」の「湯」と「旧・由布院町」の「由」を取り替えたもの、とされている。
おそらくは、「温泉地」として古くから著名だった「由布院」なので、「温泉の湯」をイメージさせる目的もあって「湯布院」という名称が用いられ始めたのではないか…という文献もありました。
この後、「平成の大合併」で「湯布院町」は「由布市」となり、市の名前に「由」の地名が戻っています。
ちょっとややこしいですね…
さて、話は脱線しますが、この「湯布院」についておもしろい(?)話があります。
「寅さん」こと「車寅次郎」が主演の、映画「男はつらいよ」シリーズでこの「湯布院」が「思わぬ形」で登場する回があるので、それをご紹介したいと思います。

「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」(第41作 1989年8月5日公開)
「主なロケ地」 オーストリア・ウィーン です。
「湯布院」と何の関係もないではないか、と思われるかも知れないのですが…
ここからは「Wikipedia」の力を借ります。
あらすじ
みちのくのローカル線の電車に揺られていた寅次郎(渥美清)は、突然の急ブレーキに座席から投げ出された。心身衰弱のサラリーマン坂口兵馬(柄本明)が自殺しようと線路に横たわっていたのだ。すんでのところで一命を取り留めたサラリーマンを前にした寅次郎は、持ち前の義侠心で優しく諭す。そのせいで、坂口は寅次郎を心底慕ってしまう。坂口の望みは音楽の都オーストリアはウィーンに行くということで、寅次郎に付いてきて欲しいという。寅次郎はウィーンを湯布院と聞き違え、二つ返事で了解してしまう。一方故郷柴又では、坂口から連絡を受けた旅行代理店の人間が寅次郎のパスポートを作ろうとやって来ていた。とらやの皆は、行き先がウィーンだと知り仰天。そうこうしているうちに、寅次郎が帰郷。一同はウィーン行きを断るように説得し、寅次郎も納得した。
という感じです。
その後、どうなったかはどうぞ、実際に作品をご覧ください。とてもいい作品です。
ちなみに、その時の「寅次郎と坂口のやりとり」はこんな感じです。
(寅次郎)「それで、お前どうするんだ。行きたいところがあるんだろうよ、どこでも言ってみな。」
(坂口)「寅さんの行くところでしたらどこでも。」
(寅次郎)「そうは言ってもよ。お前にも行きたいところがあるだろう。言ってみな。」
(坂口)「(しばらく考えて)ウィーンです。」
(寅次郎)「(しばらく考えて)ほぉ、湯布院か。そりゃ遠いなあ。」
(坂口)「いや、湯布院じゃなくて…」
(寅次郎)「知ってるよ。温泉場だろ、九州のな。確かに遠いや、あそこは。」
寅さん!これじゃ、全然人の話、聞いてないですよ(笑)
というか、寅さんはウィーンどころか、ヨーロッパ自体を全然知らないようです(劇中から)。
ちなみに、「旅行代理店の人間が寅さんのパスポートを作りに来た」と、上記の「Wikipedia」の記載にあるのですが、実はこれ以前に、寅さんは既に「パスポート」を持っていて、おばちゃん(三崎千恵子)に預けていました。
「競輪で万車券が大当たりして、商売仲間とハワイに行くことにしていたが、倍にしようとして『スッテンテンにやられた』ので行けなくなった」とのこと(劇中から)。
何とも寅さんらしいというか…
スイマセン、本題からえらい脱線してしまいましたが…
でも、「ゆふいん」「ウィーン」…口に出してみると、確かに発音は似てますね(笑)


さて、次に乗車するのは「17時33分発 普通大分ゆき」です。
まだ時間があるので、今度は駅構内を散策してみたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。