みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「JR九州 全線完乗」を目指す旅、「第1日目」です。
場所は、「田川後藤寺駅」(福岡県田川市)です。

ここから乗車するのは、先ほど「田川後藤寺駅」にやって来た「日田彦山線」の折り返し、「日田ゆき」です。

定刻の14時21分、「日田ゆき」はゆったりと動きだしました。
車内は、通勤・通学時間帯にかかっていないので、空いております。
外は「暖かい陽射し」、そしてのんびりした「アイドリング音」と、眠くなりそうです!(^^)!
さて、学生時代から「鉄道旅行」をして来たわたしですが(まだ「乗り鉄」という言葉すらなかった時代ですが…)、今回のように「同じ線区を再度、折り返して乗車する」と言う場合には、たいてい「行きに乗車した側と反対の座席に座ること」にしています。
というのも、「行き」には気づかなかった「新たな発見」があるやも知れません。
このこだわり(?)で、「行きと帰りでは全然印象が異なる線区やなあ」と感じることも、過去に多々ありました。
今回もその例に依って、「進行方向右側(西向き)」の座席に陣取っています。

「福岡県端」に近い「筑前岩屋駅」。この先には、「長さ4km以上」を誇る「釈迦岳トンネル」があります。

トンネルを抜け、しばらくすると再度「大分県」に戻ります。
ここまで、「大阪府→福岡県→佐賀県→福岡県→大分県→福岡県→大分県…」と
「地勢上」で言うと、「これほどの移動をするのはなかなか出来ない経験」です(^^ゞ

「日田杉」で著名な「大分県日田市」に入っています。
駅の後方には、「杉木材の加工場」でしょうか。「大鶴駅」にて。

さて、この「日田彦山線」について車内にこのような「案内イラスト」がありました。
この路線は、「小倉駅」に近い「城野(じょうの)駅」(福岡県北九州市小倉南区)から、「田川後藤寺」や「英彦山」などを経て、「夜明(よあけ)駅」(大分県日田市)までを結ぶ路線です。
「起点」は「城野駅」なのですが、実際はすべての列車が「小倉駅」まで乗り入れしています。
「乗客の利用状況」も、「小倉駅」に近づくほどやはり増加して来ていて、時刻表を繰っていると、「田川後藤寺駅」を境に、「列車本数の設定数」もかなり異なります。

今回、乗車している「田川後藤寺~夜明間」の「沿線案内」です。
やはり、「豊かな自然にまつわる名所」のものが多いようですね。

こちらは、「城野駅~田川後藤寺駅」のもの。
「北九州都市圏」への交通アクセスの良さか、沿線開発が進んでいるようですが、かつての「筑豊炭鉱群」の面影も残す、また「違った一面」が垣間見られます。

さて、「田川後藤寺駅」から走ることちょうど1時間、15時16分に「夜明(よあけ)駅」(大分県日田市)に到着しました。

ここで「日田彦山線」は終点。
ここからは「久大本線」に入り、「日田駅」へと向かうのですが、「対向列車の行き違い」ということで10分ほど停車します。

これは、「久大本線(久留米方面)」のホームにあった「夜明の鐘」なる看板です。
実は、行きの際にも気になっていたのですが…

といいますか、それ以上に、今回の「九州旅行」以前から、時刻表の地図を繰っていると、この「夜明」という駅名、なんて「ロマンチック」なのだろうと思っていました。
気になって、毎度おなじみ「Wikipedia」で「名称の由来」を調べてみたのですが…
駅名は当駅開設当時に存在した日田郡夜明村(昭和30年に日田市に編入)にちなむ。「夜明」の地名は、焼畑開墾地であることから最初は夜焼(よやけ)と付けられたが、「焼」の発音を嫌って「夜開」(よあけ)、「夜明」(よあけ)の順で改字されたことによる。
「焼畑農耕地」だったことからの「地名」だったのですね。
ところで、この「夜明駅」に近づくに連れ、山の急斜面に沿うように「筑後川」が流れており、なおかつ周りは「森林群」でした。
一見したところ「平坦な土地」が見当たらなかったので(あくまで車窓から見た私見ですが…)そういった「土地環境」が影響した「焼畑開墾地」だったのかも知れません。

ここでも「キハ47形」の「細見ウォッチング」が出来ました。

しばらくすると、対向の「博多ゆき 特急 ゆふ号」が通過して行きました。
そろそろ出発です。


「日田駅到着直前」の「2両編成の車内」。
地元の方とおぼしきご夫婦が一組乗車されているだけでした。
実にのんびりしています。


定刻の「15時36分」、「日田駅」に再び到着しました!
さて、時刻は既に「夕方近く」になっているのですが、ここからは「JR九州」自慢の「人気リゾート列車」に乗車することにしています。楽しみです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。