JR九州 全線完乗への道!その20 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「JR九州 全線完乗を目指す旅」、「田川後藤寺駅」(福岡県田川市)に来ています。


さて、「肉肉うどん」で昼食の後は、次の列車の発車まであと30分。
出来れば、街をぶらっと散策してみたいところですが…


「30分」と言うことは、「往路15分・復路15分」になりますね…
思案して、結局、駅周辺の散策をしてみることにしました。

さてどうするか…

上の画像は、「0番線」の先にある「橋梁」ですが…
「簡素ですが、古い佇まい」が気になっていたので、これを観察しに行くことにしました。
駅からはすぐです。


駅前の地図で言うと、「JR田川後藤寺駅」のホームと線路の下を突っ切る「白地」の線のところです。


駅側の「地下道出入口」にやって来ました。
こちら側は、出入口付近が「石積み」になっていますね。


こちらは、「地下道」を抜けた反対側のところです。
ちょうど、列車が停車していますが、この「地下道」、都合「6線路」の下をくぐっているので、結構な長さでした。

興味深かったのは、この「反対側の出入口」付近の構築物です。



現在の線路は、この「煉瓦積み」土台の横までなのですが、幅から推測して「もう1線路ほど敷設出来るようなスペース」のようにも思えます。
画面中央部分、「白い出っ張り」が確認出来ますが、これは「橋梁を架ける際の基礎土台」だと思われます。

「石炭輸送需要の増大」を見越して、建設時にこのような「余分なスペース」を設けていたのかも知れませんね。


重厚なつくりです。「煉瓦積み」、そして「後付け」と思われる「コンクリート」も既に古びていますが、実に味があります。


「地下道」の先には、これまた「古い陸橋」がありました。


こちらは「鉄鋼製」なので、先ほどの「煉瓦積み」とは異なり、それほど古くはないのでしょうが、蔦がからまり、独特の雰囲気があります。




両側の支持柱付近を見たところ。
「蔦」だけでなく、寄り添うように「樹木」も生い茂っていて、このような光景はなかなか独特なものを感じますね。


さて、駅へ戻ることにします。


「発車10分ほど前」にたどり着きました。
時間があるので、下車した時に観察出来なかった部分を見て行きたいと思います。


まずは「運賃表」から。

ここ「田川」は、かつての「筑豊炭鉱の中核を成す都市の一つ」として知られていますが、最近は「北九州都市圏」や「福岡都市圏」へのアクセスも良いということで、住宅地としての開発が進んでいるそうです。

「小倉駅」までは「13駅」、本州へ渡ったところの「下関駅」までは「15駅」。
というか、「本州側の各駅」、それも結構な距離のところまで「運賃表」に載っているのには意外な感じがします。

例を言うと、「田川後藤寺駅」の横にある「赤い矢印」の反対側を見てみますと、「南行橋駅」(福岡県行橋市)のさらに右隣、「黒色」の線のところで「雀田(すずめだ)駅」(山口県山陽小野田市)なども見られます。

この「雀田駅」、以前アップした「JR西日本 全線完乗シリーズ」で下車したことのあるのですが、「小駅でありながらも、なかなか個性的な駅」でした。

その際の記事↓
当ブログ
「JR西日本 全線完乗への道!山口県編~その6」(2014年12月23日アップ)


「発車案内板」より。各方面、接続が考慮されていて便利ですね。


さて、次に乗車するのは「14:21発 日田彦山線 普通 日田ゆき」です。
「日田」からここ「田川後藤寺」までやって来たルートを戻り、再度「久大本線」に戻ることにしています。



改札を入ります。
「1・2番ホーム」には「左側」に「キハ30形」、そして右側には「平成筑豊鉄道」のディーゼルカーが発車待ちをしていました。


先ほどの「0番ホーム」にも、「新飯塚ゆき」の「キハ30形」が待機していました。


さて、「小倉方面」から「2両編成」のディーゼルカーが入線して来ました。
これから乗車予定の「日田ゆき」です。



「3列車の揃い踏み」を拝見してから、「日田ゆき」の発車する「4番ホーム」へ急ぎます。



ホームにたどり着いた時にはちょうど、乗客の入れ替わりが済んだところでした。


ここで、本日ここまでお世話になっている「キハ47形」の細部観察をしてみます。
先頭車両の「下半分」ですが、なかなかさまざまなものが取り付けられています。

右上から「タイフォン(警笛)」、その下には「製造銘板」と「所属会社銘板(JR九州ですね)」、さらにその下には「ジャンパ栓(の蓋)」(ブレーキ、電気系統のホースをつなぐもの)、そして左下には「40 8051」と記された「渡り板」…など。
(この車両、「キハ40-8051号車」という車両ですので、その記載ですね)。

というか、「銘板」を見るとこの車両、「昭和55年製造」だったのですね。


さっそく、「日田ゆき」に乗り込みます。


さまざまな歴史のある街、「田川市」を「1時間」というほんの少しの時間でしたが、少し知ることが出来ました。
機会を設けて、次回は是非にゆっくり街歩きしてみたいと思います。

次回に続きます。
今日はこんなところです。