みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「JR九州 全線完乗」を目指し、「九州鉄道旅行」の「第一日目」の旅をしています。所は、「日田(ひた)駅」(大分県日田市)です。

ここから乗車するのは、この「日田駅」の2駅先、「夜明(よあけ)駅」から分岐し、「筑豊地方」へ向かう「日田彦山(ひたひこさん)線」、「田川後藤寺(たがわごとうじ)ゆき」です。

車内はご覧のように空いていて、いい感じです。
さて、「田川後藤寺」まで乗車するこの列車、「キハ47形」という、旧・国鉄が製造した「年代物」の「ディーゼルカー(気動車)」です。
車内で、あちらこちら「年代」を感じさせるものを見つけましたので、ちょっとご紹介したいと思います。

まずはこちら。
「緊急時に扉を手動で開けることが出来る」という「非常用ドアコック」の「案内板」と、「扇風機」の「スイッチ」です。

まずは「非常用ドアコック」の「案内板」より。よ~く、文面を見てみてください。

「もし線路に降りるときは特にほかの汽車や電車にもご注意ください」…
「『汽車』という表記」が残っています!
(通常の場合、ここは「列車」と記載されていることが多いのですが)
いまは、「汽車」など、もう走ってはいないのですが…

続いてはこちら。「扇風機」です。

この車両は「冷房車」なのですが、かつては「冷房がなかった名残」なのか「扇風機」が取り付けられています。
こちらもよくご覧ください。「外蓋の中央付近」に「JNR」という表記があるのが確認出来ます。
この「JNR」とは、「Japan National Railway」、つまり「国鉄」のことです。
ということで、「旧・国鉄」の「レトロな雰囲気」がプンプン漂うこの列車、いいですね。
定刻の「12時02分」、「田川後藤寺ゆき」の「ディーゼルカー」はゆるゆると動きだしました。

「空いている車内」でついやってしまうのですが、「前方の座席への足伸ばし」。
ようやく、「旅をしている」という感じが段々出て来ました。たまらんですね。
(ちなみに、「右側面にあるネジ」は「灰皿」を取り付けてあった痕跡です)

「日田駅」から「10分ほど」、「久大本線」を走って「夜明駅」に到着。

ここで、「久大本線」(久留米方面)の線路が左手に分かれて行きます。

「乗りつぶし地図」で言うとこんな感じ(塗り方が下手でスイマセン)。
「夜明駅」から上方、方角でいうと北へ上っていくのが「日田彦山線」です。
「九大本線」から分岐し、山深い中をゆったりと走ります。

途中の「宝珠山(ほうしゅやま)駅」に到着。
この駅は、「駅構内」が「大分県」と「福岡県」とに跨っている、「九州唯一」の駅なのだそうです。珍しいですね。
(他の例では、「JR京都線」の「山崎(やまざき)駅」(「大阪府三島郡島本町」・「京都府乙訓郡大山崎町」に跨る)などがあります)。

その「宝珠山駅」から2つ目、「筑前岩屋駅」を過ぎると、列車はさきほどまでののんびりしたペースからまるで「別人に化けたか」のように急に速度を上げ、この「長大なトンネル」に入って行きました。
結構飛ばしています(体感で「60km/h」くらいでしょうか)。
「大分・福岡県境」に位置する「釈迦岳(しゃかだけ)」を突っ切る、「釈迦岳トンネル(全長 4380m)」です。

ようやく、「長いトンネル」を抜けました。列車は既に「福岡県」に入っています。
ここまでの道程、「大阪府→福岡県→佐賀県→福岡県→大分県→福岡県…」と、なかなか慌ただしいです。
ただ、「長大トンネル」を抜けても、変わらず「快晴」なので一安心。

途中の駅構内では、「かつて使用されていた」と思しき「遺構」。
「苔むした階段」。かつては、大勢の乗客が利用したのでしょうか。


「彦山(ひこさん)駅」にて。対向の「日田ゆき」とすれ違います。

さて、こちらは前回の記事でも取り上げた書籍ですが…
「各駅停車全国歴史散歩41 福岡県」
(西日本新聞社編 河出書房新社刊 昭和54年11月初版発行 既に絶版)
と言う、「地理・歴史解説」の「シリーズ本」です。
(表紙には「北九州市」の「若松」と「戸畑」を結ぶ、赤い「若戸大橋」が見えますね。)
さきほどの「彦山」についてですが、この「彦山」は、全国的にもよく知られているものですが、地名の「彦山」に対し、「同じ『ひこさん』という読み方」をする「英彦山」(「英彦山」は「日本三彦山(『修険道の山』)」だそうで、他の二つは『弥彦山(やひこやま、新潟県)』、『雪彦山(せっぴこさん、兵庫県)』だそうです。はじめて知りました)、以前から、この「表記が異なる」ことについて気になっていたので、前回の記事に続き、「関係する部分」をこの書籍より引用させて頂きたいと思います。
霊山は県下の最高峰
彦山はおもしろき山杉の山
天狗棲む山ささびの山
かつて吉井勇(※注釈:「よしい いさむ」。「明治から昭和期」にかけての「歌人」。1886年生、1960年没)がこう詠んだ英彦山(ひこさん)は、大分県との県境にそびえ、標高1200メートル。霊域としての歴史を秘める福岡県の最高峰にふさわしく、いまも深山のたたずまいを見せる…
…山の中心は、駅から約6キロの中腹にある英彦山神宮奉幣殿。ここから1キロ以内に範囲にマイカー用の別所駐車場、別所、神宮下両バス停、町営国民宿舎「ひこさん」、昔ながらの旅館、みやげ品街などが散在している。
「英彦山」のルーツ
奉幣殿の約1キロした、参道入り口に立つのが「銅(かね)の鳥居」。佐賀藩主鍋島勝重が島原の乱の戦勝祈願実現のお礼に寛永14(1637)年に寄進したもので、高さ約7メートル、柱の周囲約3メートルの銅無垢。国の重要文化財だ。鳥居にかかる「英彦山」の額は享保19(1734)年霊元法皇から下賜されたもの。
この山はもともと彦山と書いた。天照大神の御子・天忍穂耳命(*注釈:「アメノオシホミミ」と言う「日本書紀」に登場する「神様」)降臨の地とされ、日の御子の山、つまり日子山ー彦山となったわけだが、この勅額を下賜されていらい「英彦」と呼ばれるようになった。”英”は尊称という。
(出典同 P230)
つまりは、この山は「先史時代」から「霊域」として崇められていたようです。
「英」は「はなぶさ」とも読みます。
「はなぶさ」とは「はなやかである」という意味があるので、この文章にあるように「畏敬の意味」を込めて「英」を頭に付け、「英彦山」と称し始めたようですね。


その「彦山」を後にします。
「ただ通り過ぎるだけ」ではなく、「その土地の歴史や地理」をこのように知ることも、「旅をする醍醐味」ではないかなと、30を過ぎてから感じるようになりました(^-^)/
次第に住宅地が増えて来て、各駅ごとに乗り込む乗客もちらほら見られるようになって来ました。
「学生服姿の高校生」が多いように思いましたが、下校時間にはまだ早い?

「日田駅」からおよそ「1時間10分」ほど、定刻の「13時15分」に「終着駅」の「田川後藤寺(たがわごとうじ)駅」(福岡県田川市)に到着しました。

この日は、「福岡空港」に降り立った時点から既に暖かく、この時間帯などになると結構、暑いくらいでした。

「木製の屋根柱」が「建築美」を感じさせる「3・4番のりば」です。
この駅に乗り入れている路線の列車も、「ディーゼルカー(気動車)」だけですね。
構内を見渡しても、「JR九州カラー」の「キハ47形」が多く停車していました。

ここ「田川後藤寺駅」が所在する「田川市」は、福岡県のちょうど中心部に位置する都市で、かつては「筑豊炭鉱」が点在していた「炭鉱都市」として知られています。
この駅で、次に乗車する列車まで「1時間ほど」あるので、昼食がてら駅前を散策してみることにしました。
どこかに「石炭黄金時代」の遺跡が残っているやも知れません!(^^)!
次回に続きます。
今日はこんなところです。