「JR九州 全線完乗」を目指し、今回の旅最初の「未乗区間」、「久留米」と「大分」とを結ぶ「久大(きゅうだい)本線」に乗車、途中の「日田(ひた)駅」(大分県日田市)に降り立ちました。

ここで一旦、途中下車。

改札へ向かうところですが…
横断幕に「ななつ星」の文字が。
「超豪華クルーズトレイン」として知られる「ななつ星」は、「車中泊」だけでなく、経由する「温泉地」や「観光地」での宿泊も含まれていると言います。
この「日田」にも立ち寄るのでしょうね。
横断幕に「ななつ星」の文字が。
「超豪華クルーズトレイン」として知られる「ななつ星」は、「車中泊」だけでなく、経由する「温泉地」や「観光地」での宿泊も含まれていると言います。
この「日田」にも立ち寄るのでしょうね。

「日田駅」駅舎です。駅舎は新しい感を受けますが、訪問当時は「改築中」だったようで、「一部が工事中」でした。
しかし、「木材」が各所でふんだんに使用されているようで、「心地よさ」を感じます。
しかし、「木材」が各所でふんだんに使用されているようで、「心地よさ」を感じます。



さて、「駅前広場」にはまるで「宿場町」を思わせる「行灯」のオブジェがあったのですが、この「天領(てんりょう)」と言う文字が目に入りました。
(ところで、「ホークス」の試合を「スポーツチャンネル」で観ている時など、「ヤフオクドーム」に「日田天領水」と言う「大きな広告」があったことを思い出しました)

こちらは「各駅停車全国歴史散歩45 大分県」
(大分合同新聞社編 河出書房新社刊 昭和58年11月初版発行 既に絶版)と言う本です。
これ、「各都道府県ごとに1冊ずつ(「北海道」と「東京都」は「2冊上下巻」)発刊されたシリーズもの」の書籍なのですが、「全国47都道府県のその土地の地元新聞社」や「郷土史研究家」などの方が編纂した「地理歴史の解説本」と言えるものです
(発刊当時、「沖縄」には鉄道が存在しなかったので「バス路線」が主の内容です)。
いわゆる「ガイドブック」の類いとは異なり、「地元の方々しか知られていないこと、もの」や「観光客が訪れることが少ないであろう、地元の名所、旧跡」や「その地にまつわる歴史、故事、行事や習慣、風俗…」などが事細かに詳述されていて、わたしのような「どちらかと言えば、一般的に有名ではないであろう地理歴史に興味を持っている」ようなちょっと変わった(?)人間にとって「痒いところに手が届く」ような「シリーズ本」で、暇があれば読み耽っています。
いわゆる「ガイドブック」の類いとは異なり、「地元の方々しか知られていないこと、もの」や「観光客が訪れることが少ないであろう、地元の名所、旧跡」や「その地にまつわる歴史、故事、行事や習慣、風俗…」などが事細かに詳述されていて、わたしのような「どちらかと言えば、一般的に有名ではないであろう地理歴史に興味を持っている」ようなちょっと変わった(?)人間にとって「痒いところに手が届く」ような「シリーズ本」で、暇があれば読み耽っています。
また、刊行が「昭和50年代」と「30年以上前」のものなので「現況」と言う点では期待出来ない部分もあるのでしょうが、一方で、「現在は廃止になった路線」も取り上げられており、そう言った点では「大変興味深いもの」があります。
前置きが長くなりましたが、件の「天領」についての記載を「日田駅」の記事から拾ってみたいと思います。
水の美しい盆地
日田市、とりわけその中心となる日田盆地は、先史時代から江戸時代まで、各時代ごとに大きく文化を花開かせた歴史の町であるとともに、美しい自然に包まれ、水によって演出される観光の町である。…

「日田駅前」の案内図を見ると、駅の「目抜き通り」の先には「筑後川」がありますね。「日田駅の到着直前」に「久大本線」に寄り添うように姿が見えました。
そして、「豊富な森林」を古くから「産業資源」にしていたようです。
さて、続きです。
…とにかく古墳が多い。ざっと数えてみただけで、名前をつけられているものだけで
四○基を軽く超える。…
天領の中心地
…近世になり、一時的に大名領となったものの、すぐ幕府領(天領)となる。島原の乱のあとの貞享三(1686)年である。
とりわけ明和四(1767)年に代官が西国郡代となってからは、九州に散在する天領一二万石余国の統治と諸大名の監視にあたり、九州の政治、経済、文化の一中心地ともなった。
…経済地には代官の御用商人として掛屋(かけや)と呼ばれる商人群が生まれ、酒、醤油、油、紙などの商いで資本を蓄積する。それに公儀(※注釈:江戸幕府)からの預かり金を加えて「日田金(ひたがね)」が生まれ、財政のひっぱくした諸大名はじめ一般農工民に貸し付けたが、代官の名が力となってこげつくことはなく、ますます肥えふとった。この資金力で林業はじめ各種産業は大いに発展したものである。
…みやげも多いが、産業的に重要なのは日田杉をはじめ豊富な林産資源を生かした木工芸。…
…自然と文化、産業と観光をマッチさせ、モデル定住圏・日田がより住みやすい町になってほしいものだ。
(出典同 P130-133)
古代から、書物に「天皇との関わり」が記述されていたり、また「古墳」では「装飾品」が多く発見されるなど、「当時の権力者」が大きな勢力を誇っていたことと、先述しましたが「豊富な自然」を利用して、「さまざまな産業が活性化される=収入源が多い」
ということが見込まれるため、
「天領」=「江戸幕府の直轄地」
(「大名を通さずに、幕府が直接、莫大な利益を安定して長期間にわたり得ることが出来る土地」)
という地位で、「長年にわたり発展して来た」ようですね。
「地位が上」であるはずの「大名」が、「高利貸し」や「新田開発」などで「巨万の富」を築き上げた「豪商」には「頭が上がらない」という例は、この「日田」以外でも耳にしたことのある話ですが、「豊富な自然」に由来する「さまざまな産業」が発展していたことで、統治する側の「幕府」も、産業で儲ける「商人」とは「持ちつ持たれつ」の関係だったのかも知れないですね。

さて、次の列車まで少し時間がありますが、「街を散策」するような時間の余裕はないので、「駅前広場」を少し歩いてみます。
まさに「春の到来」を告げるような行事が行われているようで、ぜひ見てみたいのですがここは断念。


当地では有名な「年中行事」のようですね。

駅に戻ります。


次に乗車するのは、先ほど乗車して来た「久大本線」を「久留米方面」に逆戻りし、途中の「夜明(よあけ)駅」から分岐する「日田彦山(ひたひこさん)線」です。
この「日田彦山線」は「城野(じょうの)駅」(福岡県北九州市小倉南区)が「始発駅」で、わたしは路線のほぼ「半分」の距離に当たる「田川後藤寺(たがわごとうじ)駅」までは「既乗区間」です。
かつては、この路線の西を走る「筑豊本線」とともに「石炭黄金時代」の主役として「大変な活気のあった路線」だったそうですが、現在は「地域輸送」に特化した輸送形態になっています。

改札を入ります。
と、その右側に何やら巨大な物体が見えます。
改札を出る時には気づかなかったのですが…

これ、「鼻緒」?でしょうか?

「日田名産」の「杉の木」で作った「ジャンボ下駄」だそうです。
重さは「68kg」なので、大きさの割にはわたしよりこちらの方が余裕で軽いですね(笑)
←なぜか「上から目線」だったりする\(^o^)/

「田川後藤寺ゆき」の列車は既に停車していました。
「JR九州オリジナルカラー」の「キハ47形」という「ディーゼルカー(気動車)」です。


駅構内も、ほんとうにのんびりとした「良い雰囲気」がありますね。

こちらの列車も、「行先表示」は「手差しサボ」でした。
やはり、まだまだこの周辺では「現役バリバリ」のようですね。

さて、「発車時刻」になりました。列車に乗り込みます。
次回へ続きます。
今日はこんなところです。