「青春18きっぷ」で真冬の旅2015 その5 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは、前回からの続きです。
「旧・東海道」の「第30番目の宿場街」、「舞坂宿」に保存されている「脇本陣」を見学させて頂いています。
 
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建物の最も奥の部屋にやって来ました。
「豪華な意匠の座布団」、また、「一段積み上げられた畳」…
 
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そう、ここは「上座」に当たります。
「宿泊者で最も位の高い人が宿泊する部屋」、この時代の「VIPルーム」ですね。
 
意外に簡素な印象を受けましたが、当時はこれが普通だったのでしょうか。
 
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ただ、この「上座の部屋」からの「庭園」、規模が大きい訳ではないですが、やはり先日ご紹介しました「中庭」とは違って、「本格的」なものになっていますね。
 
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「庭園」の横には、「吹きさらし」のこの部屋があったのですが…これは何でしょう?
 
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「厠(トイレ)」でした。こちらは「大用」。
ちなみに、「座り方」は「取っ手がついている方が後ろ」なのだそうです
(「着物の裾を取っ手に引っかけて使用するため」だそうです。初めて知りました)。
 
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こちらは「小用」のもの。現在でも、こういった「小用便器」がありますよね。
 
ちなみに、「大名級クラス」の人物が用便を足した後は、その排泄物をいちいち「検分」(検査)していたそうです(「食事に毒物などが混入されていないか否か」ということを検査する目的だったようです)。
 
用便をする方はいいですが、それを「検分」する方は何というか、仕事とは言えいろんな意味で大変だったのですね(^_^;)
 
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こちらは「上湯殿(かみゆどの)」。
 
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「お偉方専用」の「風呂桶」です。
 
先日の記事で「下湯殿」という、「一般利用者用」の「湯殿」を取り上げましたが、こちらの方は漆塗りが施されていて、やはりというか「差別化」が図られていますね。
ただ、こちらの方も、「お偉方用」とは言えども「ただ桶につかって、その中の湯を身体にかけるだけ」だったそうです。
 
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「お偉方」に関する、なかなか興味深いものを見せて頂くことが出来ました。
 
さて、別室にはこの「帳面」が2冊、保管されていました。
上から「大日本細見道中記(嘉永4年、1851年)」、そして「五海道中細見記(安政5年、1858年)」というもので、「街道の旅籠」や「観光案内」などが記されているそうで、「旅行案内書のようなもの」だそうです
(「現在で言う『るるぶ』のような、「旅行ガイドブック」と考えて頂ければ…とガイドの方からの説明がありました)。おもしろそうですね。
 
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ぶれており申し訳です(>_<)
 
その横には、この「縦に長い大きな木札」がありました。
こちらは「関札(せきふだ)」というもので、現在で言うと「ホテル」や「旅館」の玄関に取り付けられている「本日のご宿泊 ○○様」という趣旨の看板だったそうです。
 
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続いては、「2階」に上がらせて頂きました。結構、急な階段です。
 
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「2階」は「2部屋」ありました。
そのうちの一つですが、この雰囲気であれば現在でも「旅館」として営業出来そうですね(^O^)
 
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その傍らには、「駕籠」が置かれていました。もちろん、本物だそうです。
 
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「駕籠」の内部です。「ムシロ」や「座布団」などを敷いて使用していたのでしょうが、床は「板敷き」で、居住性はあまり良くはなさそうな…
 
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「冷暖房」などないこの時代、このように夏の暑い時期を考慮してか、「通風用」の「よしず」があったりしましたが、「夏は暑く、冬は寒く」だったのでしょうね。
 
ただ、これを担ぐ人の方がもっと大変だったのには間違いないでしょうが…
 
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この「駕籠」は、この「舞坂宿」の「名主」を務めていた人物が使用していたものだったそうです。
 
説明書きにもありますが、同じ「駕籠」でも「高級なもの=乗物」「簡素なもの=駕籠」と称していたそうですが、これは「乗物の部類」に属する、ということです。
ただ、現在人のわたしたちから見るとこれは「使い込まれた古いもの」とは言えども「乗物=高級なもの」には見えないですね…
 
とにかく、当時の「交通事情」は想像以上に大変なものだったようです。
 
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再び1階へ降りて来ました。
 
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またまたぶれており申し訳ございません。
「当時の一般的な旅人の服装」だそうです。
 
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この当時、一日の移動距離は長く、約30~40km歩くこともあったそうです。殊に「大名行列」では「大名」やごく一部の「お偉方」以外はもちろん、移動は「徒歩」だった訳で、やはり、随伴する家臣も「相当な体力」が要ったのでしょうね。
 
また、「江戸」から遠隔地の大名(主に「外様大名」)などでは、「参勤交代」で国元に帰るに当たっては「相当な日時」、そして「莫大な費用」を要したようです。
 
これは、「関ヶ原の戦い」で「西軍」に加勢した「外様大名」を意図的に「遠隔地」に国替えさせ、「参勤交代」で「莫大な費用」や「労力」を使わせることで、「武力の蓄え」(すなわち「謀反」などにつながる不穏な動き)をさせないようにした、という説があります(諸説あります)。
 
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実にいい勉強になりました。ありがとうございました。
「近現代日本史が好きな人間」(わたしです)にはたまらないですね(笑)
 
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さて、「脇本陣」を出て、「旧街道」を東へ進みます。
現在は、このような閑静な「住宅街」と、「商店」が交互に並んでいる通りになっています。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。