「阪神・淡路大震災」から20年 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。今日の話題です。
 
今日は、表題の通り「阪神・淡路大震災」の発生から「20年」という日です。
6000名を超える「尊い人命」が失われ、いまなお「行方不明」の方が居られるという、大変な「大災害」でした。
 
無念にも命を落とされた方々に、心から哀悼の意を表するとともに、命からがら助けられ、その後大変な苦労を重ねて来られた被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 
当時、高校生だったわたしは、連日「テレビ」や「新聞」で報道される被災地の悲惨な光景を目にして、「これは本当に起こったことなのか」と、胸を締め付けられるような思いでした。
 
寒い冬の早朝、何が起こったのかさえわからないまま家屋の下敷きになり、時間だけが経過して行く中で、十分な助けもなく、無念な思いで亡くなられた方々がたくさん居られたこと。
大切な家族、友人を失った人々が居られること。
 
そして、震災で「人生が変わってしまった人々」がたくさん居られること。
 
 
 
地元紙「神戸新聞」の「ネット版」に、このような「コーナー」がありました。
 
題名の通り、「阪神・淡路大震災」の前日、「平成7(1995)年1月16日」に「あなたは何をして、どう過ごしていましたか」という、自由に投稿が出来るコーナーです。
 
投稿を拝見していると、ごく自然な「平素の生活」を送って居た、という内容ばかりです。
もちろんというか、それが「自然なこと」ですよね。
 
「何もない平穏な日に、自分なりの『普通の生活』を送っていた」のですから。
 
ただ、まさか「翌日」にこのような「大災害」が起こるとは。
そして、これで「生活が、人生が大きく変わってしまう」とは。
「ついぞ思いもしなかった」、ということではないでしょうか。
 
「東日本大震災」を始め、近年(特に昨年)、全国各地で災害が相次ぎました。
その報に触れる中、「いつ、自分や、大切な家族にどのようなことが襲い掛かるかわからないようになったのだな」と痛感しています。
 
「悔いのないように、毎日、一日一日を一生懸命に生きて行くことの大切さ」を胸に刻みながら生きて行かないといけないのだなと感じます。
 
改めて、震災で尊い命を奪われた方々に心から哀悼の意を表するとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
 
今日はこんなところです。