みなさんこんにちは。前回からの続きです。

明治の昔から、「菊」と関わりの深い「枚方」にやって来ています。
ちょうど、この「菊フェスティバル」が開催されているということで、会場を観覧しようかというところです。

「京阪電車枚方市駅」の「南口」を出てすぐ、「メイン会場」の「岡東(おかひがし)中央公園」にやって来ました。
いろいろな展示があるようですが…

まずは、公園の中央付近にある「メイン展示」から見て行くことにしました。
遠くからでも、実に色彩やかですね。

よくよく見てみると、「ハート型」でしょうか?
さまざまな「形」に彩られた「菊花」が展示されています。

「菊」はいろいろな色や種類がありますが、わたしが一番好きなのは「黄色」です。
種類など詳しくはわからないのですが、なぜか昔から一番に目を惹かれます。

こちらの「菊飾り」は、「枚方市の市章」です
(かつて、淀川を行き来していた「帆掛け船」のイメージだそうです)。
段を上がってみます。

「特設花壇」なるものがありました。これはすごい…

「菊一色」ですが、まさに「お花畑」という感じですね。

これだけのものを見ると、何と言うか圧倒されます(^^ゞ

公園内には「枝垂れ」のものや…

明治初期頃まで、「大坂」と「京」とを結ぶ重要な輸送手段だった「三十石船」をかたどったものもありました。

「船」を近くで見てみますと、結構、簡素なのですね…


「船頭さん」も、大変な力仕事だったに違いありません。
この「三十石船の旅」の「名物」として、ここ「枚方」では、「船」が近づくと「ごぼう汁」や「酒」、「まんじゅう」などの食料を満載した、通称「くらわんか船」という「船」が近寄って来て、乗客に「強引な口調で商品を売り」、商売をしていたそうです。
ちなみに「江戸時代」なので、当然「封建社会」で「上下関係」は厳しいはずですが、ここではこのような「不作法」が認められていたそうです
(このあたりの船頭たちが、「大坂夏の陣」で「徳川側」に「淀川での物資の運搬」に多大な協力をした見返り、と言われているようですが、諸説あるようです)。
ちなみに、「くらわんか」とは、現代の「大阪弁」で言うと「食べへんのかい!」、標準語では「食べないのか?そうか、食べないのか!(「食べる金も持ってないのかオマエは。ああ~そうか、どうしようもないな」というニュアンスもあるようですが)という、今風の言葉で言うと「挑発」というか、「超、上から目線」言葉に相当するようです。
どっちにしても、あまり上品な言葉ではないようですが…

それはさておき、この「三十石船」は、「京阪電車」の開業(明治43年4月)で一気に衰退し、いまでは「京街道沿い」の「鍵屋」というかつての「宿場」に保存されるのみとなってしまいました(いつか取り上げたいと思ってますが)。
次回に続きます。
今日はこんなところです。