みなさんこんにちは。
前回からの続きで、「SANZEN-HIROBA」で「期間限定展示」されていた、京阪電鉄が所蔵している貴重な「歴代京阪HOゲージ模型」を拝見しています。

今日は「2つ目」のガラスケースの模型を取り上げたいと思います。
題を付けるならば「戦前京阪のロマンス車両」でしょうか(^O^)

まずはこちら、「1550」「1580型」です。
この2系列は、昭和2(1927)年と昭和3(1928)年にわたって製造された「急行用車両」で、昭和4(1929)年にはそれぞれ「600型(初代)」「700型(初代)」と改番され
ました。
競合する「省線(現在のJR京都線)」との競争を意識した車両で、後述しますが車内はこの時代としては破格の豪華な装備が施されました。

ところで、この本に見覚えのある方はいらっしゃるでしょうか?
数か月前の記事で、「当時の写真がない」とかいう理由で(笑)借用してきた、「細密イラストで見る 京阪電車 車両の100年」という「記念本」です。
この本ですが、実にイラストが美しく、さらに解説もついていて見やすく、楽しめる本
です。おすすめします(^O^)
ということで、今回もこの「車両の100年」のイラストを一部拝借したいと思います。

「1550型」「1580型」の側面イラストです。
車体色は「深緑一色」ですが、特徴的なのは「窓上」に描かれた「KEIHAN ELECTRIC RAILWAY COMPANY」の英字表記です。
この時代の車両については詳しくはないのですが、このような「斬新な表記」がなされている例は、あまり見聞したことがありません。
ちなみに、この反対側には「KYOTO OSAKA LINE」と記されていたそうです。
実にわかりやすい。

さて、この形式の車内の様子ですが、「乗心地よいローマンスカーの座席」と、当時の絵葉書に記されています。
当時としては他に例を見ない、「転換式クロスシート」をいち早く採用し、大変な人気を博したと言います。
「ロマンスカー」というのは、現在では「小田急電鉄」の代名詞となっていますが、日本で初めて「ロマンスカー」という名称を採用したのは、何を隠そう「京阪電車」のこの形式が最初です。
ちなみに、「ロマンスカー」のシートは、「男女が二人並んで座れる」という「甘いロマンス」をイメージして「ロマンスシート」(表記では「ローマンス・シート」とされていますが)と呼称されていたようです(当時は、「公の場で男女が云々」、というのは「ご法度」だったという「時代背景」があったので、なおのこと斬新だったのでしょうか)。
ただ、「Wikipedia」にはこんな記述がありました。
同線の急行列車に600型・700型は集中投入され、並行する東海道本線に対抗
した。両形式の製造当時に運輸課乗客掛長だった村岡四郎(後に社長)の回想
によると、「ロマンスカー」という名称について、どこをどう間違ったのか「寝てい
ける電車」かと電話で聞いてきた者もよくいたという。
何がどうなってそうなったのか、さっぱりわからないですね<(`^´)>
戦後は、この「ロマンスシート」も撤去、通勤用車両として運用され、昭和40(1965)年から「台車、電動機器」を流用した「600形(2代目)」として生まれ変わりました。


続いては「1000型(2代目)」です。
昭和12(1937)年から昭和21(1946)年にかけて製造された、こちらも「急行用車両」です。
先ほどの「1550型」「1580型」に続いて、車内には「転換式クロスシート」を採用し、
人気を博したそうです。

こちらは中間車です。

当時の写真を見ますと、床下機器がすっからかんで、「運転台が付いているのにモーターが付いていない」ことが分かります。
この時代の車両は「1両単位での運転」が可能なように、京阪と言わず他の鉄道会社でも「全車両モーター付き」が当たり前だったのですが、この場合は「戦時中の資材不足」のために「モーター」を省略した車両だったのかも知れません。

続いて「イラスト」です。
模型では「下半分」が「青色地」ですが、登場直後から様々なカラーバリエーションが
存在したようで、こちらでは「深緑地」になっています。

こちらは「戦後」の「1000型(2代目)」です。
戦後の一時期は「特急」にも使用され、晩年はイラスト下のように「緑の濃淡」に
塗り替えられ、「ロングシート化」の上、昭和45(1970)年まで使用されました。
この「1000型(2代目)」の廃車後なのですが、実は興味深い経歴をたどっています。
当ブログでも取り上げておりますので、よろしければどうぞ↓
当ブログ
「SANZEN-HIROBAを訪ねて その11」(2014年5月24日アップ)

さて、展示コーナーにはこのような写真もありました。
沿線の「ひらかたパーク」で毎年秋に開催されていた、「ひらかた大菊人形」PRのための「ラッピング電車」です。
最近では「ラッピング電車」というのは別段珍しくもないですが、この列車が運転されていた当時(昭和20年代)では、それこそ「度肝を抜かれる」ものだったのではないかと思います。
「ロマンスシート」然り、「ラッピング車両」然り、当時としてはずいぶん「画期的」なことをしていたのだなと感じます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。