みなさんこんにちは。
「くずはモール」(大阪府枚方市)内の「SANZEN-HIROBA」での「期間限定展示」を
拝見しています。

今回の展示は、京阪電車が所蔵している「歴代京阪電車のHOゲージ模型」でした。
ガラスケースが6つ、それぞれの時代背景に沿って、車両が展示されていました。

まずは、「最初のガラスケース」のものから取り上げたいと思います。

「1番目」ということで、「開業直後」の京阪にまつわる車両の展示でした。
まずはこちら、「1型」車両です。
明治43(1910)年4月15日、「大阪天満橋~京都五条間」で「京阪電車」が開業した
際に投入された車両です。

開業当初は30両、大正6(1917)年まで合計、65両まで増備が重ねられた車両です。
このうち、「16」号車は「貴賓車」として使用されました。
「民間鉄道の貴賓車」というと、現在ではあまり耳にしない事例ですが、この時代には規模の小さい地方鉄道でも、「貴賓車」を保有していることが多かったようです。

車両はいわゆる「オープンデッキ(客用扉がないタイプ)」で、いかにも「路面電車然」としたスタイルですが、これは「京阪電車」が当時の「軌道条例」によって認可が下りたためで、当時の大阪方のターミナル「天満橋」から、「大阪市電」に乗り入れる計画があったからとも言われています。

続いては「100型」です。
大正7(1917)年から同14(1924)年にかけて製造された車両で、一部はさきほどの
「1型」を改造した車両もありました。

「京阪初の連結用車両」として、車両も開業当初の「1型」とは異なり「客用扉」が設けられ、かつ「3扉化」されるなど、「路面電車」から「都市間連絡鉄道」としての脱皮を図った車両と言われています。

続いては「貴賓車・16号車(2代目)」です。
「貴賓車」については、さきほどの「1型」でも述べましたが、この時代の民営鉄道では「貴賓車」を保有しているケースが多く、京阪でも開業当初から保有していましたが、昭和3(1928)年10月に新造されました。
時は「昭和天皇御大典」の折で、実際に、沿線の「桃山御陵参拝(明治天皇の御陵)」や「陸軍大演習視察」などでご乗用に供されたようです。

「16号車(2代目)」の車内です。
重厚なソファー、豪華なカーテン、独特なデザインの飾り窓などが特徴的です。
ただ、製造直後からあまり使用される機会はなかったようで、戦争直前に「一般車両」に改造され、戦後の昭和40(1965)年まで使用されていました。
もちろん、内装の調度品などは撤去されましたが、独特な「飾り窓」はそのまま残され、異彩を放っていたと言います。
廃車以降は、「寝屋川車庫」で「会議室」として使用されていたようです。

続いては「京津50型」車両です。
昭和7(1932)・同8(1933)年にかけて、「大津線(京津線、石山坂本線の総称)車両」の近代化を目的に投入された車両です。

「車高がある割に、横幅がすぼまっている」のは、「京津線特有」の「急勾配、急カーブ、路面区間」に対応するためであると言われています。
次回に続きます。
今日はこんなところです。