みなさんこんにちは。
今日も、「SANZEN-HIROBA」で展示されていた「歴代ポスターギャラリー」を取り上げたいと思います。

まずはこちらから。
「昇圧でパワーアップ。新型通勤車77両が快走中です。」のポスターです。
「京阪線の架線電圧の600ボルトから1500ボルトへの昇圧」(昭和58年12月)に合わせて登場した、「6000系」のものですね。
昭和58(1983)~59(1984)年頃のものと思われます。
この「6000系」と、「京阪線1500ボルト昇圧」とは切っても切れない関係があります。
「昇圧」に対応出来ない旧型車両を、この「6000系」が「一夜にして一気に置き換え」、「これまでの車両の顔ぶれが一気に変わった」、という所以があったからでし
ょうか。
「6000系」についてはこちらで詳細に記述しています↓
当ブログ
「SANZEN-HIROBAを訪ねて その27」(2014年6月26日アップ)

さて、「昇圧」と一口に言いましても、われわれ素人にはなかなかわからない点もあるので、今回の記事では「京阪電鉄の記念誌」から、「昇圧」に関する記述をいくつか拾って参りました。
長くなりますが、「昇圧」のシステムや、「京阪電車」が「昇圧」に至った経過などがわかりやすく述べられていましたので、ご覧頂ければと思います。
昇圧のもたらす効果としては、
① 10両連結以上の長大編成列車の高速運転が可能となる
② 故障電流のキャッチが容易となり、運転保安度が大幅に向上する
③ 変電所のシリコン整流器の出力が増加し、当分の間、変電所の増強が
不要となる
④ 電車線の摩耗が少なくなり、電車線のライフサイクルが延長できる
⑤ き電線(注釈:架線に電流を送るために設置されている電流線)の増
強がまったく不要になる
⑥ レールからの漏れ電流が少なくなり、レール、地中埋設管などの腐食
防止に役立つ
⑦ 電車線、き電線、レールなどに生じる送電ロスが減少し、電力コスト
の低減が期待できる
―などがあげられる。
(京阪電車開業70周年記念誌「京阪70年のあゆみ」昭和55年発行
「第10節 着々と進む1500V昇圧準備 昇圧の効果」P222-P223)
京阪電鉄が開業した明治後期、一気に電気鉄道の電車線昇圧は、
技術面の制約から600ボルトが標準であった。その後の鉄道技術
の発展により、国鉄や主要な民営鉄道の電車線電圧は1500ボルト
が主流となっていた。
京阪電鉄は1959(昭和34)年に1500ボルトへの昇圧を検討した
ものの、75年の輸送量を59年の200%と仮定した場合、電車線電圧
が600ボルトのままであっても輸送力が行き詰ることはないとの
結論に達し、また京都市電との平面交差(四条・七条・伏見稲荷
交差点)、大阪市電との平面交差(片町交差点)の問題もあり、
昇圧計画は断念した。
しかし、輸送力の増加は予想を上回り、1966年には59年の200%に
達し、その後も輸送需要は増加の一途をたどった。そこで、1969
年に京阪電鉄は、再び1500ボルト昇圧への長期計画を策定し、昇
圧計画がスタートした。昇圧のネックとなっていた600ボルトの
大阪市電・京都市電との交差も、市電の廃止にともないそれぞれ
1968、1978年に解消され、1500ボルトへの昇圧計画は、京阪電鉄
にとっての一大プロジェクトとして着々と進んでいった。
電車線電圧の1500ボルトへの切り替えは、1983年12月3日夜半から
4日早朝にかけて実施し、4日の初発列車から1500ボルトでの営業
運転を開始した。
昇圧にあたって京阪電鉄は、およそ15年の月日と総工費250億円を
投じ、変電所16個所、整流器34台、車両558両の改造・新造という
大規模な昇圧準備を行った。また、1500ボルト昇圧に伴い、600系、
1300型、1700型の各車両、移動変電所などが廃車となり、新たに7
両編成の6000系車両77両を投入した。
昇圧の最大の目的は、現行の600ボルトの限界であった7両編成を
超え、8両以上の長大編成の運行による輸送力増強にあった。昇圧
前の列車編成、列車本数は、600ボルトの限度いっぱいに達してい
たが、1500ボルトに昇圧すると、電流は600ボルト時の約半分まで
減少するため、電車線に余裕が生まれ、列車の長編成化と高速化が
可能になった。
また、輸送力アップに加えて、昇圧によって運転保安度も向上した。
600ボルトでは、平常時も限界に近い電流が電車線に流れているた
め、事故時の電流との区別が困難であったが、昇圧化することで
平常時の電流が少なくなり、事故電流との区別が容易になった。
さらに電流の減少と高い電圧によって、列車に安定した電気を供
給できるようになり、速度の向上、運転性能の確保や安定的な列
車冷房の提供など、乗客サービスが一段と向上した。そのほかに
も変電所、電車線、饋(き)電線、レール・地下埋設管などの設
備投資・メンテナンス費用の節減、電力料金の低減など、昇圧の
効果は多岐に及んだ。
1500ボルト昇圧によって速度が向上し、増発が可能となり、また、
淀車庫の第2期工事の完成(注釈:1983年11月。「淀車庫」の使用
開始は1980年3月)によって同車庫の全面利用が可能となったため、
京阪電鉄では、1984年3月29日にダイヤ改正を行った。
主な変更点は、①通勤時間帯の拡大に対応して、朝夕ラッシュ時の
最混雑時間帯の前後に急行と準急を増発、
②列車種別の変更・区間延長、宇治線と京阪本線との連絡時間の短
縮によるサービス向上の2点であった。
(京阪電鉄開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」
「第6章 石油危機後の経営(1975~1984年)第3節 鉄道・運輸事業
4.輸送サービスの向上と安全運行システムの充実 1500ボルト昇圧化」
P372 平成23年3月発行)
と言うことで、「昇圧」により、「変電所からの電力供給」に「余裕」が生まれ、「列車や冷房装置の増備や増強が可能になった」、 あるいは「電圧が低い=電流が高い」という、言わば「ぎりぎりの状態での変電所の運用」が改められ、「電気系統の事故原因が減少した」、などというところでしょうか。
とかく、この「昇圧」をひとつの契機として、従来の旧型車両が一掃され、
新たな「京阪電車」の姿に進化した、ということは疑いないところのようですね。
今日はこんなところです。