SANZEN-HIROBAを訪ねて その30 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
久しぶりに「SANZEN-HIROBA」の話題に戻りたいと思います。
 
またまた、「展示内容」が一部変更になったとのことで再訪問して参りました。
その様子をお届けしたいと思います。
 
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今回の「期間限定展示」は「京阪電車のHOゲージ車両」でした。
こちらはまた後日にご紹介したいと思います。
 
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さて、「ポスターギャラリー」も一部が取り替えられていました。
今日はこの2枚をご紹介したいと思います。
 
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まずはこちら。
「京阪電車の車両が700両を突破」のポスターです
(件の「7200系」は左から2番目です)。
 
「新型通勤車両の7200系が間もなくデビューします」と記載があるので、平成7(1995)年のものと思われます。
 
「新型通勤車両」としては、ポスターの向かって右から2番目の「6000系」(昭和58年製造初年)や、中央の「7000系」(平成元年製造初年)以来のもので、「車両正面の窓が従来のものよりも拡大されたこと」が外見上の大きな特徴です。
 
また、当時は最新だった「車内案内表示装置」、「パワーウインドウの採用(現在は撤去)」、「非常時通話型通報装置」の設置など、
当時最新であった技術が盛り込まれましたと。
 
デビューは、先述しましたが「平成7年」でした。
この年、「阪神・淡路大震災」が発生し、この車両が製造されていた「川崎重工業(現在の川崎重工業カンパニー)」からの陸路輸送が困難だったため、急遽「船輸送」に
切り替えられ、「神戸港」から大阪湾の対岸、「泉大津港」(大阪府泉大津市)まで運ばれることとなりました。
 
通常、「京阪電車」の「新型車両輸送」は、神戸の「川崎重工業カンパニー」から、トレーラーでの「陸路輸送」が主な手段ですが、この「海上輸送」は極めて特殊な例で
あったことが伺い知れます。
 
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続いてはこちら。
「8000系ダブルデッカー車デビュー」のポスターです。
平成9(1997)年のものと思われます。
 
これに先立つ平成7(1995)年12月、「旧・3000系」の中間車を、自社工場(寝屋川工場)で「ダブルデッカー」に改造し運用開始したところ、大変な人気だったことと、当時、「7両編成」で運用されていた「8000系」の輸送力増強のため、あらたに「中間車」として「ダブルデッカー」が新造、「8000系」全編成に組み込まれ「8両編成化」されました。
 
この「8000系」の「ダブルデッカー」は「旧・3000系」のそれとは仕様が異なり、「階上・階下席」ともに「2列転換クロスシート」が採用され、居住性が格段にアップしました
(ちなみに、「旧・3000系ダブルデッカー」は、「階上・階下席」ともに「集団離反式固定式シート」で、なおかつ「1・2列」の配列でした)。
 
「ダブルデッカー」は「テレビカー」の横に連結され、「特急料金不要の列車」としては
「国内最高のサービス」とも称されるほどの居住性を誇っていました。
当時は「京阪間ノンストップ」でしたので、「京都―大阪間」の長距離移動においては実に快適でした。
 
蛇足ですが、この「ダブルデッカー」、現在でも人気で、始発駅では早々にやはり「階上席」から埋まって行く光景が見られます。
と言っても「階下席」の方を好んで選択する人もいるようで(わたしの知人にも数名そういう人がおります)、理由は「揺れが少ない」とか「音が静かだから」という声も聞きます。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。