SANZEN-HIROBAを訪ねて その25 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
前回からの続きです。
「くずはモール」(大阪府枚方市)内にあります、「SANZEN-HIROBA」で展示されて
いた「歴代ヘッドマーク展示」を拝見しているところです。
 
 
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今日からは、この3枚を取り上げたいと思います。
 
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まずはこちら。
「1900系車両 50周年」記念ヘッドマークです。
掲出期間は「平成18(2006)年7月~平成19(2007)年3月」までとなっていますね。
 
「1900系」は、昭和38(1963)年に登場した「第3代京阪特急」です。
同年の「淀屋橋延伸」のシンボルとして、豪華な内装が人気を博した車両でしたが、
「特急専用車」としての運用は短く、次代の「旧・3000系」の登場と合わせて、登場
から早くも10年後の昭和49(1974)年には、全て一般車両に改造されました。
 
そこからの「通勤車両」としての活躍は長く、平成20(2008)年10月の「中之島線開業」の前日で定期運用を終了、同年12月に「さよなら運転」が行われ、全車勇退しました。
このヘッドマークは、「1900系」のうち、昭和31(1956)年から製造が開始された「1810系」から編入されたグループの車両が「製造50周年」を迎えた時に記念として掲出されたものです。
 
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こちらが、件のヘッドマークを掲出した編成です。
この編成は、往年の「京阪特急色」に車体色が塗り替えられて運用されていました。枚方公園にて。
 
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この当時、「1900系」は既に一部の編成に廃車が発生していましたが、残存していた
編成はまだまだ健在で、「京橋~守口市間」の複々線区間では、「定期運用列車」で「最高時速110km/h」で疾走する姿が毎日のように見られました。
 
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件のヘッドマーク、アップです。以上、淀にて。
 
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車内に入ってみますと、「特急車時代」名残の「1枚扉」があります。
開閉する時には、「旧・3000系」とも、「8000系」とも違う、「ゴロゴロゴロ…」という、独特の開閉音がするのが特徴でした。
 
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また、このヘッドマークを掲出した編成の車内では、在りし日の「特急専用車時代」の雄姿が「ギャラリー」として、あちらこちらに掲げられていました。
一部ですがどうぞごらんください。
 
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こちらは地上線時代の「四条(現在の祇園四条)駅」ですね。
 
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「1900系」に編入される以前の「1810系」です。
 
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こちらは、昭和38(1963)年に新造された「1900系(新造車グループ)」の編成です。
「新造車グループ」の特徴は、先頭車の尾灯(ヘッドライト)付近にある「バンパー」
ですね。
自動車のそれとは違い、「デザイン」の一部だと言います。
以上、淀~中書島、伏見桃山~丹波橋間の車内にて。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。