阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その29「山中渓駅」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんばんはー
前回からの続きです。
 
大阪と和歌山を結ぶ「JR阪和線」、その前身の「阪和電気鉄道」の昭和初期、開業当初の面影を探す旅をしています。
 
大阪・和歌山の県境、「山中渓(やまなかだに)駅」(大阪府阪南市)に来ています。
 
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この駅、「JR線の大阪府最南端」であるとともに、「JR線大阪府唯一の無人駅」でも
あります。
一日の乗降客は120名ほどだそうです。
 
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駅の入口にでかでかと「観光案内」の看板がありました。
 
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昔から、「和泉国(現在の大阪府南部)」と「紀伊国(現在の和歌山県)」とを行き来するのには、必ずこの「山中渓」の隘路を上り下りしないといけなかったようです。
 
「街道」には「宿場町」がある、ということで、「熊野街道」の道筋にあるこの「山中渓」にも宿場があり、かつては賑わいを見せていたようですね。
 
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現在は、休日にもっぱら「ハイキング」目的の観光客が利用するようです。
 
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 山中渓の栄枯盛衰
  和泉鳥取駅から山中渓駅に向かう途中、急に視界が狭くなる。そこから山中
 渓谷に入るのだ。春には桜の花が咲き乱れ、また新芽の緑がさえざえと美しい
 し、秋には紅葉が素晴らしい。谷川の水も清らか。この美しい自然の中に、山
 中渓谷温泉がある。
 
 …山中渓に温泉宿ができたのは、昭和六年。熊野参詣道脇に阪和線の駅が
 出来たのをきっかけに、温泉宿が六軒たてられた。渓谷の美に誘われて、わざ
 わざ泊まりにきたり、熊野街道を通って和歌山に行く人が寄り道をして、宿は大
 人気。ところが、いつかすっかり衰えてしまった。
 
 江戸時代にも、この地は山中宿として栄え、その山中宿の名残りが、駅から大
 阪寄りの熊野街道をたどるとある。
 
 「各駅停車全国歴史散歩 大阪府(河出書房新社 昭和55年1月刊)」より
 
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現在では、駅前には「食事処」と「雑貨店」が並ぶだけになっていて、当時をしのぶ
ものは見当たりません。
 
鉄道が出来て、クルマ社会になってから「人の流れ」が変わってしまったようです。
それでも、昔と変わらず「県境の峠」にひっそりとたたずむ「山中渓駅」です。
 
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この先はもう「和歌山県」。
「阪和線」の終点「和歌山駅」までは、もう一息です。
 
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ひとまず、折り返しの快速列車で大阪へ戻ります。
 
次回は、まだ未訪問の「大阪市内の阪和線」の駅を取り上げたいと思います。
今日はこんなところです。