阪和電気鉄道 昭和初期の面影 その27 「砂川遊園と砂川奇勝」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんおはようございます。
前回からの続きです。
 
大阪と和歌山を結ぶ「JR阪和線」、その前身の私鉄「阪和電気鉄道」、開業当時の昭和初期の面影を探す旅です。
 「和泉砂川駅」(大阪府泉南市)までやって来ました。
 
さて、戦前から関西の私鉄は、自社の沿線に「遊園地」を設け、観光客誘致の取り組みをしていました。
 
関西の私鉄で言いますと、
近鉄→「生駒山上遊園地」「あやめ池遊園地」「玉手山遊園地」
阪急→「宝塚ファミリーランド」
阪神→「甲子園阪神パーク」
南海→「みさき公園」「狭山遊園」
京阪→「香里遊園地(のち、ひらかたパーク)」
 
などがありました(現存しているのは「生駒山上遊園地」「みさき公園」「ひらかたパーク」のみ)。
 
今回取り上げている「阪和電気鉄道」も、その例に漏れず「乗客誘致」を目的としてここ「砂川」に「砂川遊園」という「遊園地」を開設しました。昭和初期の頃です。
 
昭和40年代から「住宅地・団地」などにその姿を変えていますが、残された資料などを見るとかなり広大なものだったようです。
今日は、その「砂川遊園」と、遊園内にあった「砂川奇勝(きしょう)」という自然が育んだ名物をご紹介したいと思います。
 
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「砂川遊園」へは「和泉砂川駅」の東口を出て、山の方向へ登って行きました。現在は静かな印象ですが、当時は露店が軒を連ねていたと言います。
 
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さて、ここで「砂川遊園」と「砂川奇勝」のある「和泉砂川」について触れます。上の画像、青の□で囲んだあたり。
関西空港より南、大阪府も最南部に当るところです。
 
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かつての「砂川遊園」拡大図です。
 
「砂川遊園」と「砂川奇勝」は、この青線で囲んだ区域だったと推測され
ます。現在では住宅地、団地、宗教団体用地、ゴルフ場、阪和自動車道などがあります。
 
「遊園」自体は、昭和初期の他の「それ」と同じく、のどかなものだったようで、住宅開発が始まる「昭和40年代」までは当時の遊具が活用され、近隣の子供たちの格好の遊び場だったようです。
 また、この「遊園」周辺には「砂川奇勝」と呼ばれる、自然の「遺物」がありました。
 
「砂川奇勝」は、今からおよそ200万年前に始まる洪積期(こうせきき)に、海の底の砂や粘土が積み重なったものが隆起し、丘陵となったものです。この丘陵は元来海の底にあったものですから大変もろく、雨水によってどんどん削られ変形してしまいます。
この削られた姿が、砂が流れる川のようにみえ、「砂の水を流せるを以て此の名あり」といわれるように、「砂川」の名がつけられたのです。

削られた丘はとても人工的には作り出せない不思議な形をしています。
ある時
は猛虎の姿に、またある時は、天に駆けのぼる飛竜の姿に見えたなどといわれ
ています。このため泉州でも随一の景勝地としてにぎわい、古くは岸和田の殿様
なども遊覧になり、数十年前までは観光地として、訪れる人々が絶えなかったと
いうことです。

砂川奇勝は、今もその一部が大切に保存されています。
 
(泉南市「古代史博物館」ホームページより)
 
同じく、当時の「遊園」と「奇勝」の写真を探して参りました。
ご覧ください(各々、画像の右下をクリックすると拡大表示されます)。
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(泉南市ホームページ「せんなんのたからもの」リーフレットより)
 
「摩訶不思議」というのか、自然の力というのは不思議なものですね。
現存していた時に、一度訪問してみたいと思うのはわたしだけではないと思います。

あと、「こぼれ話」ですが、この「砂川遊園」のパンフレットの表紙には、当時「日本上陸」したばかりの「現在、千葉にある超人気の遊園地のキャラクター」がこの「砂川遊園」の「あの有名なキャラクター」としていち早く採用されていたそうです。
 
というわけで、実はこちらが「元祖・デ○ズ○ーラ○ド」だという…
さて、「和泉砂川駅」に戻り、さらに南へ向かいます。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。