近鉄志摩線 旧線跡を歩く その2 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんばんはー
 
前回からの続きです。
志摩半島を走る「近鉄志摩線」、輸送力増強の目的で複線化された際に廃線となった単線区間を歩いています。
 
「志摩磯部」駅から南へ、海沿いを歩いて行き「穴川(あながわ)」という集落に入って来ました。
 
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現在線(左側)の「穴川駅」は新線のトンネルの手前にありますが、その手前から「横へ出ている細い線」、これが現在辿っている「廃線跡」です。
 
地図の印のあたりに「旧・穴川駅」があります。
 
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「旧・穴川駅」の構内に入りたいと思います。
まずは構内跡から鳥羽側(集落側)を望むの図。
 
左の「安全側線」と思われる枕木の上に、大きな松の木が茂っています。
「廃線から13年」という月日の流れを感じさせますね。
 
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そこから反対側、駅構内跡方向(賢島方)を望みます。
 
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「制限 解除」の標識が、ポツンと残っています。
 
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公道から見た「旧・穴川駅」全景です。
小さな駅です。
 
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さっそく、構内踏切を渡ってホームに入ってみます。
 
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単線の行き違い駅だったようで、「島式」の狭いプラットホームが残っています。
 
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打ち棄てられた駅名板、広告板。
なんだか、痛々しい感じもします。
     
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ホーム南端です。
 
線路がまだ先にあるので、もう少し、進んでみたいと思います。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。