みなさんこんばんはー
「愛・地球博」シリーズも無事に完結いたしました。
今日は、三重県南東部を走る「近鉄志摩線」を取り上げたいと思います。
詳しくはこちらを。
Wikipedia 「近鉄志摩線」↓
もともとは、鳥羽から南下する小規模なローカル路線だったのですが、1970(昭和
45)年の「大阪万博」に伴う、近鉄沿線への観光客誘致を目的とし、軌道幅を改め
た上で、大阪・京都・名古屋から直通列車が走るようになりました。

それからおよそ四半世紀経過した1994(平成6)年、この「志摩半島」に近鉄グループが総力を挙げて開発した「志摩スペイン村」がオープンしました。
その輸送力増強のため、単線区間がほとんどであった「志摩線」を複線化する工事が行われ、単線区間は廃止となりました。
今回取り上げるのは、「スペイン村」オープンに先駆けて複線化され、廃止された、単線の区間です。
上の図、ちょうど青の☐で囲んだあたりです。

まずは、大阪から特急で「志摩磯部」駅に到着。
ここが「スペイン村」の最寄駅で、スペイン風の瀟洒な駅舎が特徴でした
(現在では、下車駅は南の「鵜方」駅に代わっています)

この「志摩磯部」駅から南へ、県道沿いを歩きます。
ちょうど10分くらいでしょうか、現在線は立派な高架となり、直線で森の向こうへ消えて行きますが、上の画像、青線が単線時代の「廃線跡」です。

この区間が廃止になったのは1993(平成5)年6月1日、ちょうど13年ほど経過した頃
ですが、架線柱や道床もしっかり残っています(訪問日 2006年6月)。




わりかし海に近いところを走っていたようです。

「鳥羽起点 8キロ」のキロポスト。

「制限速度45キロ」の標識も、線路上に放置されていました。

旧線跡の東側には「伊勢志摩エバーグレイス」という宿泊施設があるのですが、旧線の鉄橋はこの施設への新しい橋の土台と化しています。

さらに南に歩き、「穴川(あながわ)」という集落に入って来ました。
踏切も、交差部分が埋め立てられた以外は現役のようです。

「ATS(自動列車停止装置)」の「地上子」と呼ばれる部品です。
足もとに転がっていました。

線路跡はまだ続きます。
この先に、「旧・穴川駅」の遺構があるということなので、向かってみます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。