みなさんおはようございます。
前回からの続き、「JR東海 リニア・鉄道館」にやって来ています。
実は、先日までご紹介した「実際に触れて・車内にも入れる」展示の他にも、ホールの奥には「非公開車両」が展示されていました。

こちらも、珍しい車両がたくさん展示されています。
画像中間のハリネズミみたいな車両は、「建築限界測定車(オイラン車)」というもので、新線が開業した際など、列車の運転において建築物の支障がないか、このハリを手前に引き出し、運転しながら計測するものです。

「こんな車両、どこで保存してたん!?」という車両群たち。

こちらは、名古屋から高山本線へ運転されていた「特急 ひだ」号の「キハ82形」。

東京から静岡まで、「急行 東海」などとして運転されていた「165系 急行型電車」。
大垣から東京へ向かう、いわゆる「大垣夜行」にも運用されていました
(わたしも学生の頃、よくお世話になりました)。

こちらは、先日の記事でご紹介した「381系 振り子電車」のうち、グリーン車を「パノラマ車両」に改造した「クロ380系」です。
正面から見るとユーモラスそのものです。

変わったところでは、戦後すぐに登場した通勤型電車「63系」もありました。
建築資材の欠乏から、車内は徹底的な簡素化が図られた車両。
でも、この原型に近い「63系」、どこにあったんでしょうね~

さて、2階の「展示スペース」にやって来ました。
「JR東海」の屋台骨を支える、「東海道新幹線」についての展示です。

「東海道新幹線」は、1964(昭和39)年、同じ年にあった「東京オリンピック」に合わせて「東京・新大阪間」で開業したことはよく知られています。
「世界初の超高速鉄道」として、プロジェクトの規模の大きさから「世界銀行」からも資金を調達し、ほぼ「突貫工事」で完成させたと言います。

「新幹線開業」には、二人の人物が大きく関わっています。
「十河 信二」氏と、「島 秀雄」氏です。

十河氏は当時の「国鉄総裁」、島氏は「国鉄技師長」として奮闘されました。
特に島氏は「新幹線の父」とも言われる存在でした。
両氏の「先見の明」があったからこそ、現在、われわれが便利な旅行が出来るというものですね。

同じ展示コーナーには、「新幹線開業」から「現在」に至るまでの「新幹線」に関する
展示が並んでいます。
その中から…

「シンデレラ・エクスプレス」ですね~
当時、関西でも頻繁にCMが流れていたので、当時小学生だったわたしもよく覚えて
います。
「こんなドラマチックな大人になりたいものだ」などと思ってましたが(笑)
次回に続きます。
今回はこんなところです。