ツアーバスで春の名古屋へ その9 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんばんはー
前回からの続きです。
「JR東海 リニア・鉄道館」にやって来ています。
 
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今日は、この流線型が特徴の「モハ52形電車」からです。
 
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ベージュに茶色、また、愛嬌のある顔です。
 
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「行阪大」とありますが、もともとは1936(昭和11)年、大阪近辺の東海道本線の電化
に合わせて製造された、当時としては常識を覆す車両だったと言います。
 
茶色一色だった当時の車両群、また、スピード感のある流線型で「京都・神戸」間で
運転されていました。
 
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現在もですが、「京都・大阪・神戸」を結ぶ鉄道は、古くから国鉄と私鉄の競争が
非常に激しく、「差別化」を図るためにも車内は高級感漂うものです。
 
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味わいのある白熱灯。
 
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運転台周りです。
「流線型」なのがよくわかりますね。
 
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と、運転台回りを眺めていたのですが、どこを探しても「速度計」がない!
(画像で写っている二つのメーターは、圧力関係のメーターです)
 
いやはや、他の電鉄会社との競争が激しいとはいえ、メーターがないのはいかがな
ものかと…
おおらかな時代だったのですね。
 
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つごう、「最高速度95km/時」と説明書きにありますが、それ以上のスピード超過は
黙認されていたのかも知れません。
 
当時のエピソードですが、電車の発車直前、ぎりぎりにやって来た客をサービスの
ために発車を待ち、なおかつ終着駅には定時に到着する、ということが厳命されて
いたようです。
 
ちなみに、この「モハ52形」、晩年は愛知と長野を結ぶ「飯田線」で余生を過ごし、
1977(昭和52)年に引退したそうです。
 
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続いては「国鉄111系電車」です。
 
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この「オレンジ」と「緑」のカラーリング、おなじみですね。
一説には、沿線の静岡県の「みかん」と「お茶」をイメージしたものだとか。
 
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4人掛けのボックスシート。
数は減りましたが、まだまだ各地でお目にかかることも多いですね。
 
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が、しかし、テーブルの下には「灰皿」、それも「JNR(国鉄)」の文字が。
 
「全面禁煙」でなかった時代のなごりですね。
 
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現在は、この「111系」を改良した「113系」や山岳路線用の「115系」などが現役です。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。