京阪電車開業100周年記念 「ひらかた大菊人形 龍馬伝」訪問記 その6 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんおはようございます。
なんだかんだで、久方ぶりの更新でございます。
気がつけばもう12月ですか! 一年早いもんです。
 
前回からの続きです。
「ひらかたパーク」(大阪府枚方市)で開催されている、「ひらかた大菊人形 龍馬伝」を訪問しています。
場面もいよいよ佳境に入って来ました。
 
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今日は、第10場面「長崎・海援隊結成」からです。
 
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寺田屋事件(1866)で負傷しながらも一命を取り留めた龍馬は、西郷隆盛の勧めで、妻のお龍と湯治がてら薩摩へ向かいます。
 
「日本で初めての新婚旅行」といわれるものだそうです。
 
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この時期、龍馬の人生の中で脂の乗った時期で、明治維新後の近代日本を支えるさまざまな人々との出会いがあったようです。
 
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その一人、「岩崎弥太郎」。
日本初の貿易商社といわれる「亀山社中」の「財政」を支えた人物で、のちに「三菱財閥」の創設にも大きく影響した人ですね。
龍馬がその商才にほれこんで、今でいう「ヘッドハンティング」した人物だそうです。
 
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いよいよ最後の第11場面「龍馬奔走」です。
 
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説明文にもありますが、従来の発想にとらわれない考えと行動で確実に幕末の激動を生きて来た龍馬。
ですが、その生涯に終止符が打たれる頃です。
 
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あの「近江屋事件」で龍馬とともに襲撃を受けた「中岡慎太郎」です。
この頃、中岡とともに、暗殺実行犯とされる「京都見回組」の監視の目をかいくぐるように居場所を点々としていたようですね。
 
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こちらでも、龍馬人形に菊師さんが花付けの作業を行っていました。
 
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菊師の「平野貞夫さん」という方です。
現在、実際に活動している菊師さんは全国で4~5人なのだそうですが、その中の貴重なお一人です。
 
しばし、その作業に釘づけになりました。
 
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名残惜しく、会場を後にします。
 
後方の龍馬の名言。
「世の人は 我を何とも 言はねども 我なすことは 我のみぞ知る」…
 
菊師さんの、その黙々と作業される姿とも重なる「名言」のように思えますね。
 
次回に続きます。
今回はこんなところです。