みなさんこんにちは。
前回からの続きで、「関西の秋の風物詩」とも言われる「ひらかた大菊人形」が今年限定で開催されている、「ひらかたパーク」(大阪府枚方市)からお伝えしています。
「龍馬伝」の続きです。

今日は、「寺田屋とお龍」からです。

あの有名な「寺田屋事件」の場面ですね。
薩摩・長州との和解を取り持ち、旧幕府にとっては「目の敵」であった龍馬に対して、1866(慶応2)年1月23日、伏見奉行らが龍馬の定宿だった「寺田屋」を襲撃した事件です。

この「寺田屋事件」で、龍馬は辛くも一命を取り留めるのですが、その影には二人の女性の働きがあったと言います。


まずは、この「寺田屋」の女主人だった「お登勢」。
いまで言う「姉御肌」の人物だったそうで、龍馬をはじめとして多くの侍士から慕われていたそうです。

「寺田屋」の中に入って行きます。

伏見奉行の捕り方数百名が、寺田屋を取り囲んでいるのを真っ先に察知したのは、寺田屋で働いていた「お龍」でした。

入浴中だったお龍は、着物一枚だけをはおって、龍馬と同宿していた薩摩藩士・三吉慎蔵に知らせに急ぎます。

このお龍の機転で、龍馬と三吉は負傷するものの、一命を取り留め脱出することが出来たと言います。


捕り方から逃れるのには、「剣」でなくて、このピストルが大きな武器になったようです。「凛々しい男前な龍馬」ですね\(-o-)/
襲撃から逃れた龍馬と三吉は、近くの薩摩藩邸にかくまわれ、その後、西郷隆盛から、襲撃の際の傷の療養に鹿児島の温泉を勧められ、お龍とともに鹿児島へ向かいます。
これが、「日本で初めての新婚旅行」だといわれるゆえんだそうです。
さて、一命を取り留めた龍馬はどこへ…
次回に続きます。
今回はこんなところです。
(参考) 実際の寺田屋はこちらです
当ブログ
「伏見へ行くぜよ その4」